まず、農地法の第一条の全文をここで紹介したい。「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。」
この文章を素直に読めば、農業をしていない農家が「国民のための限られた資源」である農地を保有し続けることは農地法の目的に反する。また、「農地を農地以外のものにすることを規制する」というなら、安易に農地を宅地に転用し桁違いの不労所得を得ていいはずがない。このような法律の趣旨に矛盾する運用を続けてきた結果として、「国内の農業生産の増大」が実現するどころか、逆に自給率が下がり続け、「食料の安定供給の確保」などは、もはやアメリカ頼みである。
さて、農地は誰のものか? もちろん、国民すべての「限られた資源」であり、財産である。農家は国民から借りているのである。借りているからには、使用料を払う必要がある。現代では、農地は非課税かほとんど課税されないが、昔は年貢を納め、その後は小作料を払っていたのである。そして、もし農地を使わなくなったら、返すべきである。日本の食料自給率が下がり続けている現実を直視すれば、農地を活用しないまま血縁者にただ同然で相続したり、あるいは宅地に転用し桁違いの不労所得を得るなどは、もはや時代錯誤である。
しかし、こんな考えは、憲法29条の「財産権」を盾に否定されかねない。実際、戦後の農地解放の時、農地をただ同然で手放すように強要された大地主たちは、「財産権」を強く主張し、政府に抵抗したという。
では、どうするか? 財産権も保障しつつ、農業をしていない農家の農地を放出させ、農地の流動化を促進し、営農意欲のある農家や新規就農者が容易に入手できる方策はないのだろうか。
単純明快な方法がある。農地にしっかり固定資産税をかければいいのである。農地を有効に活用して収益を上げないと支払えないくらいの金額にすれば、それだけで農地は流動化する。納められた固定資産税は、農地を取得する者への補助金に充てればいい。
さらに、農地を公共の目的以外の用途に転用することを例外なしで禁止し、これに反した場合は、多額の罰金を課すようにすれば、それだけで十分である。狭い日本に宅地はもう十分ある。十分過ぎるほどである。経済活動が縮小し続け人口が減り続けていく日本で、もう宅地を増やす必要はまったくない。
そして、それらの施策を担保する法律は単純明快なものが良い。どうでも解釈できる複雑な法律は、既得権者や為政者に都合良く運用されかねないからである。
これくらいの決断を下さない限り、日本の食料自給率は今後も下り続ける一方である。飢えた民衆はいずれ暴走する。これは歴史の教訓である。
(文責:鴇田 三芳)