私の国民健康保険証の裏には、臓器提供の可否を記入する欄がある。火葬場でただ燃やされるだけでは、臓器異常で苦しんでいる人たちに申し訳ないので、提供欄のすべてに丸をつけている。たくさんの人たちに助けられ、どうにか大病せずに生きてこられた感謝のつもりである。ただし、その条件として、脳と心臓のどちらも動かなくなった時としている。私は脳死を認めていないからである。脳が体全体の中枢臓器とは思っていない。
最近、NHKスペシャル「人体」を視聴した。それによると、従来は「脳が全ての臓器の司令塔のように機能している」と言われていたが、それは誤りであるらしい。各臓器は、互いに協調し協力し、生命活動を健全に維持しようと日夜働いているという。
しかし、脳だけは例外で、他の臓器が休まず働いていても、勝手に休む。脳は、時には他の臓器が望まない行為を欲し、有害な指示や命令を出す。もしかすると人間の体の中で、唯一、横暴な臓器かもしれない。
番組を見ながら、喫煙と飲酒の例が頭に浮かんだ。いったい脳以外の臓器で喫煙や飲酒を望むものはあるのだろうか。喫煙すると、発ガン性が高くなるだけでなく、血管が瞬時に収縮し血圧がぐんと上がり血行が悪くなる。血行不良は万病のもとである。また、飲酒すると、肝臓がアルコールを分解する過程でアセトアルデヒドができる。これは発ガン性がある。心理的な効用を除けば、タバコも酒も全身に生理的に余分な負荷をかけ、発病率を上げるだけである。脳以外に、これを望む臓器があるのだろうか。
「自分は精一杯生きてきたのだから、いつ死んでも悔いはない」と思っている人がいる。私もその一人である。否、「であった」が正確である。また、「タバコを吸って、酒を飲み、好きなものを食べて、それで早死にしようが、それはそれでいい」という人もいる。還暦を前に肺の病で亡くなった私の兄がそんな内容のことをよく口にしていた。
しかし、生理的観点から冷静に考えれば、これも脳の身勝手である。脳以外の臓器で自らすすんで死を望むものは、多分ないだろう。人間の成人は60兆個もの細胞を持つ。その人間と共生している、それ以上の数の微生物も同様に早死にを望んでいないだろう。どんな生命も細胞も、みんな寿命を全うしたいのである。全うするために、昼夜休まず協調し協力し合って生きているのである。
唯一の例外が人間の脳かも知れない。
人類は、類まれな脳、とりわけ大脳の突出した能力(?)で栄えてきた。しかし、そんな能力があっても、あるいは、その能力に秘められた横暴さのゆえに、医療が発達してもなお人類は病に苦しめられ、無用な争いを絶え間なく引き起こし、同胞をとことん殺傷する戦争が絶えない。こんな生き物は、私の知る限り、他にいない。
他の生物にはない大きな脳を持ちながら、今や人類は自滅しようとしている。生物の進化史の中で、これほど皮肉なことがあっただろうか。
(文責:鴇田 三芳)