いにしえより日本では、戦いに奇襲攻撃はつきものであった。いくどとなく奇襲攻撃が歴史を大きく変えてきた。桶狭間における織田信長のそれはテレビなどでもよく取り上げられる。しかし、国家間の戦争ともなると、事前に宣戦布告するのが近代戦の常識となっていただけに、日本海軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃はアメリカ人の怒りを爆発させてしまった。
話は大きく変わる。戦後の日本においては、一般家庭で動物を殺して食べることなどほとんどなくなった。死んでいる魚をさばくことさえ珍しい。したがって、他の生物の命を犠牲にして人間も生きているという実感はもとより、その認識さえも薄れてしまったようである。
また、テレビ・ゲームでは、キーを押すだけでバーチャルな世界が目の前に広がり、相手を殺したり、死んだ自分がリセットされて生き返ったりする。そんなゲームの世界に洗脳された世代が急速に増えてきたように思える。このような人々は、物事の因果関係や推移を論理的に考えたり、自分の言動が及ぼす影響をより客観的に想像することが苦手になっているだろう。人によっては、思考や想像することに苦痛を感じ、感情のおもむくままに安易な行動をとるかもしれない。
ここで、これら2つの傾向を合わせてみたい。他の生物の命を犠牲にして生きているという実感と認識が薄れた人々やバーチャルな世界に洗脳された人々が急速に増えつつある現代、もし醜い感情がエスカレートした時、その矛先はどこに向かうのだろうか。激しい怒りが心を占領した時、どのような行動をとるのだろうか。激しい怒りが蓄積し強く深い憎しみへと変わった時、いったい人は、あるいは集団や民族や国家はどのような行動に出るのだろうか。
私は、戦争の原因は主に3つあると思っている。先のシリーズで述べた食料や資源の争奪、そして憎しみである。人間は感情の生き物である。大人は、強く深い憎しみの感情を露骨に表すのをはばかり、何のかんのと理屈をこじつけて、時には「正義」という言葉を唱え、憎しみの感情を行動に移す。そのもっとも醜悪な例が戦争であろう。
こんな考えから、私なりのささやかな平和貢献をしたいと、飽食はやめ、エネルギー資源の無駄を減らすために早寝早起きし、できるだけ怒らないように心がけている。しかし、なかなか難しい。特に怒らないのが難関である。
(文責:鴇田 三芳)