第179話 美しい日本

百姓雑話

森や林が美しい。

私どもの農場がある地域は、都市化をまぬがれたため、森林がいたるところに残っている。5月の連休頃は、常緑樹の深緑と落葉樹の若葉色とのコントラストが鮮やかで、それらを眺めているだけでも心が癒される。時間とお金をかけてまで、自然の景観を求めてハイキングや登山に行く必要を感じない。この歳では、疲れるだけである。

今回は景観と政治の話しをしてみたい。安倍氏が二度目の総理に就こうと行動し始めた頃、盛んに「美しい日本を・・・・・」と力説していた。私は、「やっと日本社会も文化の成熟期を迎えたのかな」という感慨から、あのスローガンが気に入っていた。たぶん、歴代の総理が「美しい」などという感情表現を前面に打ち出したことなどなかったように記憶している。

思い返せば、ほとんどの首相は、経済関係の政策を強調してきた。記憶にあるだけでも、池田氏の「所得倍増」から始まり、バブル経済がはじけた後では「景気回復」とか「雇用の確保」などが叫ばれた。安倍氏も、「アベノミクス」という経済政策を強調し、「美しい・・・・・」を口にしなくなった。いったい、あの「美しい・・・・・」というスローガンはどこにいってしまったのだろうか。具体的なアイディアが欠けていたのだろうか。それとも現実的な必要性から、「花より団子」を選んだのだろうか。

ところで昨年、冬場の農閑期に家族で上海に行ってきた。農作業の合間に家族で海外旅行をする夢がやっと叶った。どこまでも続く高層ビル群と昼夜の別なく走り回る車の多さに、中国の勢いを感じさせられた。しかしそれは、都会嫌いな私にとっては、とても息苦しい空間でしかなかった。無数の人々が欲望とコンクリートに囲まれた社会に押し込まれ、とても「美しい」とは感じられない世界であった。

帰りのジェット機が成田空港に近づくと、眼下に自然豊かな景観が広がっていた。正直ホッとした。そして、空港からの帰路、北総鉄道の沿線に広がる田園地帯が故郷の風景と重なり、自分の心の拠り所を再発見したような気がした。

ところが、トンネルを抜け「印旛日本医大」駅を過ぎたころから、風景が一変した。鉄路の両側にうず高く土手が築かれ、いたるところが枯れ草に覆われていた。電車の中から土手越しに見えるのは高いビルだけ。人の手が行き届いた緑の田園地帯とは対極の世界である。普通の人には殺風景と映るだろう。

たぶん、美しい日本を期待して来られた外国人が、あのような殺風景な景観を来日早々から目にしたらガッカリしてしまうだろう。政府は、「美しい日本・・・・・」をトーン・ダウンし、今では「観光立国」を声高に叫んでいる。あの手この手で外国からの観光客を増やそうとしている。その起爆剤として、東京オリンピックも招致した。もし本気で観光立国を目指すのであれば、せめてまずは、空港から都心までの鉄道や道路の周辺景観をもっと美しくできないものだろうか。四季折々の花々と森や林の中を電車で都内に向かえば、観光客もきっと好印象を持つだろう。

もちろん、周辺住民もその美しい環境を満喫できる。森の中にサイクリング・コースやイベント会場があっても良い。そのような美的空間への国費投入は未来への価値ある遺産でもある。

(文責:鴇田 三芳)