仕事柄、初対面の人にお会いする機会があまりないのだが、先月2組の非常に嬉しい訪問があった。お一人は、ホーム・ページをご覧になった中国出身の男性で、遠路はるばる農場に訪ねて来られた。初対面にもかかわらず、旧知の仲のように話しが弾んだ。また、前の職場で知り合った友人夫妻が20数年ぶりに訪ねてくれた。彼らも農業に魅かれたが、故あって今までは家庭菜園に納まっている。両親の意思を継ぐかにように、娘さんが千葉大の園芸学部で学んでいるという。苺の栽培に関心があるらしく、教えて頂こうかと思っている。
ところで、ほとんどの人は初対面でも、なかば本能的に相手の人を知ろうとする。もしかすると一期一会になるかもしれないと思えば、なおさら知ろうとする。社会にはそれを職業にしている人も大勢いるくらい、とにかく、ほとんどの人は人を知ろうとする。私も例外ではない。
では、初めて会った時、何を手掛かりに、人は人を知るのだろうか。
まず、手っ取り早い方法は会話をすることである。注意深く相手の話しに耳を傾ければ、どんな人かだいたい想像がつく。しかし、真意を隠す人もいれば、なかには嘘をつく人もいるので、言葉を鵜呑みにすることが危険な場合もある。だから、「目は口ほどにものを言う」という諺がある。話しを聴きながら、何気なく相手の目を見ると、心の内を垣間見ることができる。
その他に私は、相手の歯を見ることにしている。話しながら歯を見ても不自然ではないので、相手の人は違和感を抱かない。では、なぜ歯か。歯は、その人の性格と生活の様子をかなり表わすと私は思っているからである。歯をきれいに保つには、毎日あるいは毎食後、こつこつ歯の手入れをしなければならない。だから大雑把に言えば、歯の汚れている人は、地味なことをこつこつと続けることが好きではなく、生活が荒れている可能性が高い、と私は想像する。きれいに着飾り美しく化粧した女性が心地よい言葉を発しても、その口元から汚い歯が見えた途端に、私は線を引いてしまう。
余談になるが、野菜も同じようなものである。見た目のきれいな野菜は、農薬づけになっている可能性が非常に高い。だからと言って、無農薬栽培なので虫がついていたり虫に喰うわれていたっていいじゃないか、というのも問題ではあるが。
そして最後にもう一つ、私は相手の手を見る。手はその人の人生を語っているような気がするからである。しかし、いずれにしても、人を知るのは難しい。自分自身さえ満足に知っていないのだから。
(文責:鴇田 三芳)