毎年この時期になると、来年の販売計画を立て、それにもとづき栽培計画を練り始める。そして、その前段として、前年の冬から今に至るまでの1年を振り返り、栽培などで失敗したことを箇条書きにする。細かなものまで入れると、20項目以上にもなってしまう。
かつて、非常に有能な研修生にその箇条書きを見せ、他に何かないか書いてもらったことがある。彼が独立後に私と同じような失敗を繰り返さないようにとの意図からである。数日後、彼は5、6項目もの失敗を書き加えてきた。毎日そばで一緒に働いている者は、私に何も言わないが、実にしっかり私の失敗を見ているものである。とても感心した。その一件以来、指導者の失敗をしっかり認識する観察眼を持っていないと、独立しても営農し続けられないと思うようになった。「人の振り見て、我が振り直せ」という諺どおりである。
ところで、私は物忘れが激しい。50歳を過ぎた頃から記憶力も衰える一方である。そこで以前はメモをとっていたのだが、今ではメモをとったことさえ忘れるようになり、栽培記録以外のメモはほとんどとらなくなった。そんな訳で、けっして悪気はないのだが、周りの人によく迷惑をかけ、失敗も繰り返してしまうのである。
10年以上も前になるが、長く企業で活躍してこられた機械エンジニアの方が、定年退職を機に念願の農民になろうと、私の所で研修し始めた。ある時、彼から「あなたは朝令暮改ですね。」と指摘されてしまった。苦笑いする私に、「けっして非難している訳ではありません。良い意味ですから。」と付け加えられた。朝言った作業の段取りを、天気などの状況の変化によって、よく途中で変更したためであった。しかし中には、物忘れが原因で変更したことも少なからずあった。
また、私のところで研修し独立した青年から激しく叱責されてしまったこともある。「あなたは物忘れが激し過ぎる。脳に異常があるかもしれないから、病院で検査した方が良い。病院を調べてきたので、ここにぜひ行った方が良いですよ。」と紅潮した顔で真剣に訴えられた。情けないことに、返す言葉が見つからなかった。
それ以来、「どうして自分は物忘れが激しいのだろうか。」と自己分析を繰り返した。よくよく内面を見つめると、物忘れがもとで他人に迷惑をかけたり失敗した時、その時はそれなりに反省するのだが、その反省を深く心に刻み込まない性格であることに気づいた。必然的に、物忘れは改善されない。迷惑をかけ、失敗を繰り返すことになる。
そしてさらに、「なぜ反省を深く心に刻み込まないのか。」と思索したところ、2つのことに思い当った。一つは、「失敗しても、命にかかわることでなければ、まあいいや。」と思う習性。もう一つは、「失敗を忘れることでストレスを蓄積しないよう、私の脳が自己防衛しているのではないか。」ということである。どちらも、都合の良い自己弁護のようだが、どうもそのようである。
こんな訳で、還暦を過ぎたというのに、私は失敗を繰り返してしまう。たぶん、死ぬまで失敗の連続かもしれない。浪曲に「馬鹿は死ななきゃ治らない。」という有名な文句があるが、残念ながら、私の場合はそのとおりになりそうである。
(文責:鴇田 三芳)