第298話 貧乏暇なし

百姓雑話

昔も今も、農民は「貧乏暇なし」の象徴的存在である。小規模で零細な自営業者も大方はそうであろう。

これからの1か月は、胡瓜やトマトなどの夏野菜の出荷がほとんど終わり、秋野菜もまだまだ収穫できない。いわゆる「端境期(はざかいき)」である。当然、収入は激減する。

しかしそれでも、この時期は、夏野菜の残渣(ざんさ)を片付けたり、秋冬野菜の作付けが目白押しのため、めっぽう忙しい。くわえて、台風でも接近したら、その対策のために計算外の労働を強いられる。

ハウス栽培ならともかく、露地栽培の場合は、片付けや草対策からはじまり、長雨や台風による強風、害虫や病気、霜害や凍結への対策など、収入に直結しない作業があまりにも多い。もちろん、これらを確実に実行しないと営農し続けられないのだが、時に空しさを感じる。

私のような作付け体系の場合、3月から8月までの6か月で年間売上の8割以上を稼ぎ、残りの半年はろくに収入がない。上述のように忙しく働いても、従業員や研修生に給料を払ったら、自分の取り分はほとんど残らない。まさに、秋から冬にかけては「貧乏暇なし」の極みである。

還暦を過ぎた頃から体力が衰え、ちらちら思うことがある。それは、「儲かる時期だけ農作業に励み、残りの半年は南方の暖かい国でトロピカル・フルーツでも食べながら、のんびり過ごしたい」と。

今月18日で65歳になる。分類上は高齢者である。世の中には、定年退職し、のんびりと悠々自適の年金生活を満喫している人々がかなりの割合でいるだろう。だが、私には無縁の世界である。そんな生活への憧れはないが、できれば「貧乏暇なし」の働き方から脱し、「貧乏だけど暇がある」働き方に移行したいと思っている。そうしないと、寿命が加速度的に縮むような気がしてならない。

(文責:鴇田 三芳)