第62話 子どもでもわかる健康経済学(2)

百姓雑話
これはテストえです

インターネットで調べたが、健康経済学は体系化されていないようである。私の言う健康経済学は、「健康に生きる」というテーマを中心にすえ、生物学、医学、栄養学、経済学などの多岐にわたる学問を統合した実践的な学問である。

では、なぜ健康経済学が必要となっているか、その背景を挙げてみたい。まず第一に、病気になれば、治療費や入院費はもとより、病気の慢性化や将来への健康不安、入院や通院のための時間的ロス、本人の苦痛や家族の負担、仕事の停滞と職場への迷惑、果ては配置転換や解雇など、実に多くの直接的、間接的なコストとリスクを負わなければならなくなる。年々増え続ける非正規労働者やパートタイムマーにとっては、健康を害して仕事を休むと、そのまま収入減につながってくる厳しい現実がある。第二に、前回でも述べたように、薬づけ、検査づけ医療がますます進み、国家財政を圧迫していることがある。第三に、薬局で市販の風邪薬を買うような感覚で、国民の貴重な財産である医療従事者を安く使っている。そのため、重篤な患者の所へ救急車がなかなか来なかったり、救急車でたらい回しにされた揚げ句に死亡するようなことが起きてしまう。

このような現実を改善するために、支障のない範囲で医療費を節約しようではないか。軽い体調不良くらいで貴重な医療従事者を煩わせないようにしようではないか。費用をあまりかけずに免疫力を高め、自己治癒力を増すような生活をしようではないか。そのために、健康経済学が必要になると私は考えている。その学問は、人々の健康増進や国家財政に役立つだけでなく、人々の生活スタイル、仕事のし方などを根本から変えるようになるであろう。逆な言い方をすれば、そこまでのインパクトがなければ、健康経済学も実効性の薄い単なるアカデミックな学問に終わってしまう。

そしてできれば、小学生でもわかるように体系化し、従来から行なわれてきた保健体育や家庭科、理科や社会科などと融合させ、体験学習もおりこみ、正規の授業でとことん教えよう。各校に専任のスタッフを置くくらいの価値は十分ある。私たちは昔、高度経済成長の時代に、「時は金なり」と教えられた。しかし今後は、少子化がますます進むことを考えれば、子どもたちに「健康は金なり」と教えようではないか。初老の域に入ってから、「健康は?」などと学び始めても、なかば手遅れなのである。

本来、教育の最終目的は、単に知識や情報をつめ込んだり、人を蹴落としてまで金をもうけたり権力を握ることを助長することではない。誰もが健康的に生活でき命を全うできる知恵を育むことであり、社会を健全に機能させるための良識をしっかり伝えることであろう。そのためにも、子どもでもわかる健康経済学が必要なのである。

(文責:鴇田  三芳)