第128話 親の期待、子の希望

百姓雑話

昭和36年、「農業基本法」が制定された。高度経済成長とともに拡大した農工間の所得格差の是正が最大の目的であった。この法律に基づき農地の基盤整備に多額の補助金が投じられるとともに、大型農機具の普及よって日本農業の近代化が一気に進められた。戦後の農業がもっとも活気に満ち、米の生産量がピークに差しかかった頃である。

ところが、国の政策の結果、生産性と農家の所得を伸ばすことには成功したものの、皮肉にも政策の目的とは裏腹に農家の戸数は年々減り続けてしまった。生産性の向上によって大幅な労働力の余剰が生まれ、加えて工業分野の労働賃金が飛躍的に上昇したため、東京や大阪などの都市部へ農民が流失してしまったからである。農村から都会への人口流出は年々加速し、農業の担い手不足が深刻化した。農業基本法が制定された頃600万戸を超えた農家が、平成20年には250万戸ほどになり、専業農家にいたっては41万戸に落ち込んでしまった。

一般的には、農民人口の減少がこのように語られる。しかし、はたして効率化と経済的な理由がすべてであったのだろうか。

私は、職業選択の自由が憲法で保障されたことも影響していたように思っている。

時代をさかのぼれば、農家の長男は農業を継ぐのが当たり前であった。望むと望まざるとにかかわらず、親と同居し親の老後を世話し、代々の墓を守ることが長男の宿命であった。私の父親は、8人の弟妹と自分の5人の子どもたちを養うため、親の期待にこたえるために、農業高校の教師になる希望を捨て、農家を継いだ。私と10歳違いの長兄もまさしくそのような人生を歩んだ。2人とも農業をしたくて農家になった訳ではなかった。農家は世襲という常識としがらみから抜け出せず、親の期待と自分の希望が食い違ったまま人生を終えてしまった。

私の実家の例は、たぶん特殊ではなかったろう。農村ではごくありふれた状況であったろう。

農家に限らず、親の期待と子の希望はなかなか合致しない。それが職業ともなれば、なおのこと合致しにくい。戦後、憲法で職業選択の自由が保証されたからというもの、合致しなくて当然という社会になった。経済が右肩上がりの時代は、それで良かった。あるいは、それが良かった。

ところが、今や長く続くデフレ経済下で、満足な就職先を見つけられない若者が年々増え続けいる。こんな時代で、「職業選択の自由」はどんな価値、どんな意味を持つのだろうか。

(文責:鴇田 三芳)