第64話 便利さの代償

百姓雑話

本当に便利な世の中である。キーをポンポンとたたけば、いろいろな事が瞬時にできてしまう。今やその便利さが生活や仕事の現場を劇的に変えつつある。

農業の世界も同じである。パソコンやスマホを操作するだけで、遠く離れたハウスの中の野菜に農薬をまいたり、水や肥料などを自動的に供給できるようになった。LEDを太陽代りに、肥料を溶かした水を土の代わりにして野菜を栽培する野菜工場などは、その最たるものである。ただ、自動化と機械化が進んだ今でも収穫は人の手で行なっているが、将来は工業製品のように機械が収穫するだろう。「農産物は自然の恵み」と自信を持って言えるのは、果たしていつまでだろうか。

ところで人類は、実に多くのことを発明し、たくさんの物を新たに作り出してきた。とりわけ産業革命以降、めざましい勢いで新製品を次々に開発してきた。お陰で人口が増え続け、世界は狭くなり、重労働が軽減され、本当に便利になった。身近な所では、家電製品がどれだけ女性の家事労働を楽にしたか計り知れない。便利さの代名詞のようなコンビニは今や生活に不可欠である。このコンビニは車やコンピューターなどの流通ネットワークの産物である。一世紀前には想像もつかなかったような生活を人類は手に入れた。

このように、便利さの中で私たちは日々生きている。無数にある便利さの中から、もっとも便利なものを3つ挙げるとすれば、皆さんは何を選ぶだろうか。年齢や生活スタイル、あるいは価値観や仕事の内容などによって、各人各様であろう。

もし私が挙げるとしたら、貨幣と情報ネットワークと電気の3つである。これら3つに共通していることは、実態が非常に曖昧で、使い方によって変幻自在に力を発揮する点である。時には絶大な力を発揮する。

なかでも、貨幣は人類が考え出した最大の発明かもしれない。物々交換の時代に貨幣を発明した人は何と想像力のあった人たちであろうか。その便利さを今さら私が述べるまでもないだろう。

情報ネットワークも偉大である。パソコンやスマートフォンを操れば、ほとんど何でも売買できてしまう。居ながらにして世界中から必要な情報を集められ、無数の人々とつながることもできる。便利さを通り越して、もはや情報ネットワークがなければ、社会は動かない。少数の人間が国家や世界を劇的に動かすことも可能になった。アラブの春というムーブメントも、今のような情報ネットワークがなかったら、あれほど速やく進んだであろうか。バラク・オバマ氏が大統領になっていたであろうか。

そして、電気もオール・マイティーである。電気の便利さと重要さも私が今さら述べる必要がないだろう。数日いや数時間、停電しただけでも社会は麻痺してしまう。真夏や真冬であれば、確実に多数の死者がでる。今や電気がなければ、ほとんどの人間は生きていけないほど、人類の生存に不可欠なものになっている。

しかしその一方で、スーパー・パワーを秘めたこれらの便利さが、人の手から離れ、暴走し、皮肉にも人類の生存さえ左右しかねない時代になりつつある。そして時折、想像を絶するような「便利さの代償」を人類に求めることさえある。未来の人類の危機を警告した前世紀のSF映画が現実味を帯び始めている。

(文責:鴇田  三芳)