第65話 「安全」が「危険」を生む

百姓雑話
これはテストえです

「良い子のみなさん、もう家に帰る時間ですよ。・・・・・」。夕方になると、市役所の防災行政無線が鳴り響いていた。数年前から内容が変わったが、こんな放送が長年続けられてきた。へそ曲がりの私は、「早く家に帰る子は良い子で、なかなか家に帰らない子は悪い子なのか? 子どもたちの安全を願ってのことだろうが、そんなことまで無線で流さなくたっていいじゃないか?」と違和感を覚えた。ある研修生に印象をきいたら、彼も同じ感想を持っていた。

農村地帯で育った私は、小学校から帰るとランドセルを放り出し、暗くなるまで外で遊びまわっていた。たぶん、中高年の皆さん、特に田舎で育った方々は似たり寄ったりの体験をお持ちだろう。日があるうちは親も近所の人たちも、もちろん行政機関も「早く家に帰りなさい」などとは言わなかった。暗くなり腹が減れば家に帰っただけである。

また、男の子は、ほとんど皆、切り出しナイフを携行し、鉛筆を削るだけでなく、いつも遊びに使っていた。だから、たびたび手を切った。そうやって、致命傷にならない程度の危険な目にあい、身を守る術を学んだのである。そして、痛みを知っているからこそ、意図的に他の子どもを傷つけた子どもは非常に稀であった。少なくても、私の周りには一人もいなかった。

その背景には、親はもちろん、行政機関や学校が現代のように子どもたちの安全にさほど神経質ではなかったことがある。遊びをとおして子どもたちが多くのことを体験する様子を遠くから見守る姿勢があった。しかし最近では、子どもたちに防犯ブザーだけでなく、ナビや携帯電話を持たせる親もいるという。親は、子どもの動向を居ながらにして把握し、子どもたちを危険から守っている。2人の子どもを育てた私にもその気持ちが十分にわかるのだが、「何と窮屈なことか」という思いもある。

こんな私がよくよく社会を見まわすと、安全を願うあまり何か大事なことを捨ててしまったような気がしてならない。「安全」という大義名分のために、失ったものが余りにも多いのではないだろうか。安全に守られた子ども時代が、長い目で見て、危険な状況や困難な事態に弱い大人を生んではいないだろうか。うつ病にかかる人が増えてきたのも、この辺に一つの原因がありはしないだろうか。そして、安全が隅から隅まで生き届いた社会は、時代を画するような危機やパラダイム・シフトに直面した時、あるいは想像を絶するような自然災害が襲った時、もろく崩れ去るような気がしてならない。

いわば結果的に、目先の軽薄な「安全」対策がそれを超える大きな「危険」を生んでいるのではないだろうか。

人類は、アフリカのサバンナで生まれた時からずっと、常に危険な環境の中にあって、必死に安全を築いてきた。しかし、時として安全対策が虚構になることさえあった。人のすることに完璧はなく、大いなる自然に対して人間はちっぽけな存在だからである。

そもそも人の命は、安全で穏やかな子宮の中から生まれ出た、その瞬間からいつも危険にさらされているのである。この世に生まれるとは、そういうことなのであるが、つい大人は忘れがちになる。

(文責:鴇田  三芳)