第68話 未来に何を残せるのか

百姓雑話

ピカピカのランドセルを背負った子どもらがスクール・バスに乗り込んでいく。皆生農園のある地区にはかつて分校があったが、少子化と転出の影響で、小学生は本校までバスで通学している。楽しそうにバスに乗り込む子らを見ていると、片道30分もかかる道のりを大きなランドセルを背負って通い始めた、遠い昔の自分が目に浮かぶ。半世紀などアッという間に過ぎてしまった。あと何年健康で頑張れるのだろうか。

この間、はたして自分は何を成し、何を残せたのだろうか。荒れ果て草に覆われていた40aほどの農地を購入し、悪戦苦闘の末に有機栽培が可能な農地にしたことぐらいだろうか。大学生の頃を除けば、必死に生きてきたつもりなのだが、所詮、凡人の一生はそんなものなのだろうか。

かつて、「子孫に美田を残さず」という教えがあった。「子孫に過分な財産を残せば、怠けたり、過ちを犯したり、人の怨みを買ったりするので、残さない方がよい」という意味である。しかし、この教えはもはや死語になりつつある。今の農村地帯には、美田どころか、いたる所に耕作放棄地がはびこっている。こんな時代であれば、美田の教えに代えて「子孫に放棄地を残さず」とでも言うべきではないのだろうか。

思い返せば日本の戦後は、敗戦の廃墟からスタートし、新憲法の制定、農地解放、戦後復興、所得倍増、集団就職、列島改造、高度成長、貿易の自由化、変動相場制への移行、海外進出、不動産バブル、そして過疎化、少子高齢化、デフレ、雇用の流動化、放射能汚染と続いてきた。そして、どれもこれも美田を喰いつぶす歴史であった。機械のない時代に汗と泥にまみれ、貧農が農具だけで営々と切り拓いてきた農地が半世紀そこそこの内に荒れ果てている。何と強欲と怠惰の歴史であったろうか。あの世で先祖に合わせる顔があるのだろうか。

さて、20世紀は何の時代であったろうか。石油の時代か、戦争の世紀か、情報革命の幕開けか、皆さんはどう思われているだろうか。年末、その年を特徴づける一文字が発表されるが、それにならって20世紀を表わせば、「奪」と私は迷わずに書く。領土や人命、資源や食糧、資金や労働力、時間、環境、文化・・・・・、挙げたらきりがない。人類は戦い奪い合う歴史を刻んできたが、これほど多岐にわたって、それも短期間に徹底的に奪い合った時代があったのだろうか。

そして今、私も含め戦後の良い時代を生きてきた者どもが、膨大な借金を残したまま、子や孫の世代から明るい未来も奪おうとしている。それも一国や一地域の話ではない。人類全体で行なおうとしている。こんな人類の歴史がかつてあったのだろうか。

はたして、ピカピカのランドセルを背負った子どもらが社会に乗り込む頃までピカピカであり続けられるのだろうか。

(文責:鴇田  三芳)