人は弱い。横着である。そして、自分がもっとも可愛い。だから、いつも言い訳を用意している。もっとも口にする言い訳は「時間がない」である。次は「お金がない」かもしれない。幼い子どもでさえ、親に叱られれば、「だって、・・・・・・」と言い訳をする。子どもの言い訳は成長に不可欠であるが、大人の言い訳は、進歩を妨げ、明るい未来を自ら閉ざすようなものである。卑近な例だが、私のところで研修し独立後も就農し続けている人に共通しているのは、忍耐強く、研修中にけっして言い訳を口にしなかったことである。
ところで、農民がよく口にする言い訳は天候についてであろう。台風、猛暑、遅霜、降雹、異常寒波、長雨、日照不足、・・・・・・・。天候には言い訳のネタがつきない。それらを象徴する一言が「農業はお天気次第だからなー」である。この一言で、自分の至らなさを水に流そうとする。
確か2000年であったろうか、5月24日に季節外れの雹が大量にふった。パチンコ玉をこえる雹が雪のように積り、ほとんどの露地野菜が一瞬にして全滅した。もちろん私も「これじゃ仕方ない」と、その時は思った。途方に暮れながら野菜や資材を片付けたことを今でも鮮明に憶えている。
ハウス栽培の普及と、各種の資材や栽培技術が開発され、天候の影響を昔ほどは受けなくなった。それでも、やはり露地栽培は今でも天候の影響を大きく受ける。秋の台風シーズンから春の遅霜シーズンまでは気を抜けない。それにもかかわらず、この期間は満足な利益が出にくい。
しかし、農業を生業とするなら、「農業はお天気次第だから、仕方ない」と言って済ます訳にはいかない。「人知を尽くして天命を待つ」ならいいが、できる対策もせず自然災害を座して待つようでは、他の業界で頑張っている方々に笑われてしまうのが落ちである。「やるべきことをやったのか? 本当にベストを尽くしたのか?」と。
いくらハウス栽培が普及しようが、人口の光を使った野菜工場が増えようが、農業は天候に大きく左右される。それは宿命である。であればこそ、日々の天気の推移をモニターするのはもちろん、1週間先までの天気の変化くらいは具体的に把握し、それに沿った段取りを組んで作業に当るのは当然である。さらに半年くらい先までの天候も予測して栽培計画を立てると、より失敗率を減らすことができる。農業以外の業界でも、天気や天候を読むことはすでに常識となっている。コンビニなどの小売業ではその日の天気に合わせて商品を発注し、製造業では長期予報を参考にして生産計画を立てている。
農民も、今や農場に居ながらにして、携帯電話やスマホを片手にリアルタイムで天気の変化を知ることができる。これら画期的なツールを使ってまで営農することに違和感を持たれる方もおられようが、「農業はお天気次第だからなー」などと言い訳するのは職業人としての意識が薄いのではないだろうか。
(文責:鴇田 三芳)