第290話 結(ゆ)い

百姓雑話

大津波が東北地方の沿岸部を急襲した後、「絆」という言葉が若者にも語られるようになった。その若者たちのほとんどは、スマホを片手にインターネットで瞬時につながるバーチャル・リアリティの中に「絆」を見出しているようだ。

前話の「農民 vs コンピューター」では、進歩し続けるコンピューターが創り出す未来に想いを馳(は)せた。その計り知れないコンピューターの能力をいつまで人類が使いこなせるのか、私は懐疑的である。なぜなら、一発の巨大津波で甚大な被害を出し今も解決できないでいる福島原発事故を見れば、人類の危機管理能力に限界があるのは歴然としているからである。

とは言え、ただ漫然と時の流れに身を任せる訳にはいかない。私たちは、これほどまでに深く社会に入り込んだコンピューターに隷従(れいじゅう)しないような生き方をもっと真剣に考え、日々の生活や仕事の中で実践しなければならない時代に突入した。

この人類史的難題に取り組む上で、一つの示唆を与えてくれるものに、「結(ゆ)い」があるような気がする。現代では「結い」と言ってもピンとこない人が多いのだろうが、「絆」よりも人間関係がもっと濃密である。その構成員は運命共同にしっかり組み込まれ守られていた。いわゆる「村社会」である。「孤立」に慣れ切った現代人からすれば非常に窮屈な社会であったろうが、今で言う「セーフティ・ネット」という機能も備わっていた。大多数の日本人が農民であった頃は社会の隅々にごく当たり前に、この「結い」は存在し機能していた。

私は、足尾鉱毒事件で甚大な被害をこうむった渡良瀬川流域の水田地帯で、専業農家の三男としてこの世に生を受けた。そこでは、流量豊かな渡良瀬川の上流から取水された水が広大な水田地帯を網の目のように滔々(とうとう)と流れ下り、稲作を保証していた。この用水の流れにそって寒村が点在し、田植えは上流の村から下流へと順に進められた。晩秋の稲刈りも同様にあった。牛馬と人力だけが頼りの時代、「結い」がなければ広大な水田を使いこなせなかった。具体的には、上流の田植えの時は下流の村民が手伝いに行き、下流の時は上流の村民が手伝いに行く。

この「結い」を強固にするため、上流と下流の民が婚姻関係を結んだ。私が知る父は真面目ひとすじだったが、その父も若かりし頃は夜な夜な上流の村に通い、ライバルを押しのけて、母を口説き落とした。その母は父と同じようにガッチリした体格であった。

私たちの先祖は、このような婚姻を営々と続けて来た。源頼朝が北条政子と結婚したのも、あるいは北条政子が源頼朝を夜這いで射止めたのも、単純な恋愛感情だけではなかったのかもしれない。その前も後も、武家や公家の世界では、いわゆる「政略結婚」がごく当たり前に行なわれてきた。

社会に広く深く浸透していた「結い」が消滅したのは戦後であった。農村の若者が、高度経済成長のうねりの中で自由と物質的豊かさを求め、都会へ都会へと移住しサラリーマンになった頃である。まさに、解き放たれた核エネルギーのようであった。

「孤独」に疲れきった若者たちは、はたして「絆」を超えた「結い」の世界を求めるのだろうか。

(文責:鴇田 三芳)