脱サラ就農してから8年ほど、大きな農業生産法人にお世話になった。その法人は、当時100戸ほどの農家からなり、生協や共産党系の婦人団体などに販売していた。その生協は宅配と店舗での販売をしていたが、ときどき農家が販売促進として店舗に駆り出された。初めて参加した時、トマトが生産者納品価格の2倍以上の値段で売られていて、私は愕然とした。「一番の売れ筋野菜とはいえ、そんな値段差はないだろう」と。即座に、中間搾取という単語が私の脳を占有した。
また、こんなこともたびたびあった。18年ほど前に農園のホームページを開設してから、突然電話で、「お宅の有機野菜を私どものネットで販売しませんか。ご協力いたします。」というような勧誘が年に数度は入るようになった。今でも年に1、2度はある。特に販路で困っていたわけでもないので、すべてお断りしてきた。何より、汗水働いて得た野菜を右から左に動かすだけのデスクワーカーに託すのが何とも気に喰わないからだ。こんな電話が入った時も、私の脳内では「中間搾取」がこだまする。
10年ほど前、私も中国人の技能実習生を受け入れようとした。彼らを搾取するためではなく、いずれ中国に農場を拓きたいと思っていたからである。
しかし、断念せざるを得ないと判断した。派遣先の組織と受け入れ組織(管理団体)による中間搾取があまりにもひどいからである。最近、法務省が技能実習制度の問題点に目を向け遅ればせながら改善しようとしているが、一体どうなるやら。
人類は、農耕を拡大する中で、生産活動の分業化を進めてきた。産業革命を境に、分業化がいっそう加速され、それに比例するかのように中間搾取が世界の隅々まで蔓延し、法律で正当化され、市井の民を苦しめてきた。今や私たち庶民は、世界のどこで暮らしていても、中間搾取に取り囲まれて生きている。
搾取されている側がこの搾取構造から抜け出すには、いじめと同じで、搾取する側になるか、あるいは浮世を解脱しない限り、ほとんど死ぬまで続く。この搾取構造を変えようと革命を起こしたところで、結局は新たな搾取構造を生むだけである。ソ連や中国などの共産主義国を見れば、一目瞭然。何の説明もいらない。
(文責:鴇田 三芳)