第361話 農耕は人類を幸せにしたのか

百姓雑話

1955年、 文化人類学の古典ともいえる著書「悲しき熱帯」がフランスで刊行されました。文化人類学者レヴィ=ストロースが1930年代にブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録をまとめた紀行文で、ヨーロッパ文明への批判が根底にあり、世界的に注目された本です。

今から40年ほど前、この本を読み、私は強い衝撃を受けました。欧米の文明・文化に憧れていた私にとって、その内容が、あまりにも自分の生き方・考え方の対極にあるような気がしたからです。結果的に、私を今へと導いた3冊の本のうちの1冊になりました。

私は、強い衝撃だけでなく、「農耕は人類を幸せにしたか」という疑問も抱くようになりました。

人類は、生きる糧を狩猟採取だけに頼っていたら、こんなにも増えることはなく、地球環境をこれほどまでに汚染させることもなかったかもしれません。今とはまったく異なる社会や文明を築き、もしかすると争いごとや戦争も減っていたかもしれません。

しかし人類の一部は、1万年ほど前から「食の革命」といわれる農耕を始めました。西アジアでは農耕と牧畜が、また東アジアでは米が栽培され始めました。また、中南米ではトウモロコシやジャガ芋などの栽培が始まったと言われています。

そもそも人類は、類人猿としては特殊で旺盛な生殖能力があり、どうしても他の類人猿より出生数が多くなります。そのため、食料確保に必死にならざるをえず、効率の良い農耕や牧畜を考え出したのでしょう。この農耕と牧畜という食の革命と旺盛な生殖能力によって、人類は驚異的に個体数を増やし、食物連鎖の頂点に登りつめました。

しかしその一方で、農耕という食料生産によって、人類は過酷な労働、階級社会、貧富の格差、疫病、食料の奪い合いという問題も抱え込んでしまいました。食をめぐる戦争を何度繰り返してきたことでしょうか。この現実は今にいたるまでずっと続いています。

はたして、農耕は人類を幸せにしたのでしょうか。農作業に明け暮れている私ですが、ときどき今でも、そう思います。

(文責:鴇田 三芳)