世間では、ゴールデン・ウィークである。多くの人々が長い連休を楽しむ時期だが、この付近の人々はとても忙しく働く。ゴールデン・ウィークを利用して、日頃は農作業をしていない兼業農家も田植えに励むからである。米作りは、機械化されているので、連休を使えば十分である。という訳で、田植えと稲刈りの時期は農家が急増する。
ところで、兼業農家は農業からの所得がそれ以外からの所得よりも少ない農家である。その中には農業所得がまったくないか赤字の農家も含まれている。つまり、経済的な観点からみれば、限りなく農業をしていない農家、あるいは辞めた方が良いと思われる農家である。これらの兼業農家を農林水産省は「自給農家」とこの頃は呼んでいる。この付近で田植えと稲刈りの時期だけ農作業をしている農家は、ほぼ間違いなく自給農家である。
ではなぜ、赤字覚悟で高い機械を買いこみ、休みを削ってまで、米や野菜作りに励むのか? 多分、ほとんどの非農家の方には実感できないだろうが、生きるためである。したたかに生き抜くためである。農業以外でサラリーなどの現金収入を得たうえで、喰いぶちを自給する自衛手段である。だから、たとえ赤字でも、米や野菜を自給するのである。それは、子育てするようなものである。損得だけで考えたら、現代では子育てなど割が合わない。
さて、ここからが本題である。農林水産省の統計データによれば、日本の農家の35%が自給農家である。そして、年々その割合は増えているはずである。それらの人々の職業を農業と呼べるのだろうか? 農地を所有しているだけで公的に農家と認定されている現状は合憲なのだろうか。世襲制度と法律に守られた「農家と呼ばれている人々」が、農業を営むこともなく、国民の財産である農地を私物化していて、本当にいいのだろうか。憲法で私有財産が保証されているとはいえ、自給率がこんなにも低い日本で、農地を活用せずに放置しているおくことは限りなく違法に近いのではないだろうか。戦前戦中であれば、間違いなく「国賊」と非難されたであろうに。
その一方で、朝から晩まで働き、冠婚葬祭くらいしか休めず、それでいてやっと暮らせている農家もたくさんいる。知り合いに乳牛を飼っている酪農家がおられるが、週休2日のサラリーマンには想像もできない過酷な働き方をしている。福島原発事故の影響で、手塩にかけた可愛い牛の乳を搾っても搾っても捨てざるを得ない現実に失望して、ある酪農家が妻子を残して牛舎で首つり自殺したが、この悲劇は氷山の一角である。以前から北海道を中心に酪農家の廃業は後を絶たない。
余談であるが、私と同世代の人なら記憶にあろうが、1リットルの牛乳パックが、40年ほど前に出始めた頃は200円以上もした。今皆さんはいくらで買っているだろか。卵や米の価格も下がり続けてきた。その一方で、この40年間にサラリーマンの平均給料は何倍になったであろうか。
自給農家の裏側には、一生懸命に農業を営み国民に食料を供給している農家も実にたくさんいる。これらの農家に対して、ただ漫然と貴重な農地を耕作放棄している「農家と呼べないような農家」は何と申し開きするのだろうか。
どうして、こんな状況が今でも続いているのだろうか。こんな状況が今後も続くのであれば、この国に明るい未来は来ないであろう。
(文責:鴇田 三芳)