第111話 農家は何を売るのか?

百姓雑話

「農家は何を売るのか?」と問えば、「農産物を売るのに決まってるじゃないか」と言われてしまいそうである。確かに、もっとも妥当な答えである。しかし、もしプロの農家がこのような返答にとどまるようであれば、何か物足りなさを感じてしまうのは私だけだろうか。農業と「業」がつくからには、趣味でもなければ、気分転換や健康維持を主たる目的にはしていない。あくまでも、職業である、生業である。

今さら私が言うまでもないだろうが、職業とは物、サービス、情報などを創出し、売り、人件費を得ることである。もちろん、社会への貢献も求められる。そして、これら売るものに顧客が求める価値、あるいは求めると予想される価値を付加することが職業には欠かせない。物やサービス、情報などの価値は画一的ではなく、絶対な価値もない。つねに価値は相対的である。時代や地域で異なるだけでなく、人それぞれがそれぞれの価値観を持っている。したがって当然、価値は多種多様である。

農業の分野においても同様のことが言える。消費者が求める価値に最大公約数はあるものの、ビジネスの国際化にともなう物や人の移動などにより、現代では食べ物の価値は多種多様である。その多種多様性を具体的に理解し、どのような消費者にどんな価値のある農産物を買ってもらうか、プロの農家であれば深く突きつめなければならないと私は思っている。第二次産業や第三次産業では、ごくごく当たり前に行なわれていることである。

また、職業であれば、当然、利益を出しコストに人件費を計上できなければならない。人件費を稼ぎ出せなければ、生活が成り立ちにくいし、職業として継続できないからである。余談になるが、「反収はどれくらいか?」と農地面積当たりの売上高を気にする農家は多いが、「自分はどれくらいの時給を稼いでいるか?」と考える農家はきわめて少ない。

このように、農業という業界では、他の業界ではごく当たり前のことが、日本では昔から強く意識されてこなかった。そのため、他の産業に大事な後継者を奪われ、販売の主導権を流通業界に握られ、歯止めのきかない農民の減少と食料自給率の低下を招いてしまった、と私は思っている。

最後に、冒頭の質問に戻ろう。いったい農家は何を売るのか? もちろん農産物であるが、プロの農家であれば、その中身をもっと問うべきではないだろうか。私は、少し抽象的かもしれないが、「農産物という命を売る、価値を売る、健康を売る」と思っている。人の命をつなげるために命ある農産物を売る。食する人の期待に応えうる価値を加えた農産物を売る。そして、食する人々の健康に寄与する農産物を売る。昔からそれが農民の役割であり使命であったが、農薬や化学肥料が普及してからというもの、その役割と使命を忘れた農民が増えてしまったと思えてならない。

そして将来にわたっても、どんなに科学が発展しても、あるいは人類が地球外に移住しても、その役割と使命を農民は持ち続けていかねばならない。そんな気がする。

(文責:鴇田 三芳)