第335話 なりたいようにさせる

百姓雑話

もとより栽培は人為的です。より良いものをより多く収穫するための一連の行為です。「何もせずに、ただ収穫すればいい」というものではありません。農耕以前の採取あるいは狩猟とはまったく異なります。

各種の農産物の栽培は、ほぼすべてのものに対して、各種の作業が標準化されマニュアル化されています。例えば、前話のトマトでは種まきから収穫までのプロセスが体系化されています。トマトは日本でもっとも生産額の多い野菜なので、指導書もたくさん出版されています。収穫が終了するまで、とても手間をかけます。種まき、育苗、畝つくり、定植、誘引、着果剤の噴霧、脇芽かき、農薬散布、下葉の除去、追肥、潅水、そして収穫・選別・箱詰め・出荷。誘引から出荷までの作業は何度も何度も繰り返します。これが常識です。

しかし、トマト自身はこのような行為を望んではいません。

写真のトマトは、苗を3本定植後に主枝を何回か棒に固定しただけのものです。四方八方へぼさぼさ茂っています。次々に脇芽を出し、ある程度上に伸びたら倒れてテリトリーを広げていきます。この植生がトマトにとってもっとも重要なことです。

今年の長い梅雨、それもほぼ毎日だらだらと雨が降っていたのですが、放っておいても、病気が発生せず、しっかり実をつけています。

では、なぜ病気が発生しなかったのでしょうか。それは、トマトに「なりたいようにさせた」からです。

一般的に、上述のように次から次へと農家はトマトに手を加えます。そのほぼすべての作業は、人間の欲や都合によるもので、トマトの生理あるいは意思とは真逆のことなのです。だから、プロのトマト農家は播種から収穫終了まで、おもに病気対策のために、何十回も農薬をかけなければならなくなります。

          (文責:鴇田 三芳)