第353話 農業衰退の原因(6)

百姓雑話

1970年代後半から、日本の農業は衰退の一途をたどってきた。なぜこうなってしまったのか、農業現場から私なりに考えてきたことを述べてみたい。

今から30年以上も前、仕事でアフリカの東岸に位置するケニヤ、ソマリア、それにタンザニアを訪れたことがある。ソマリアには1年ほど滞在し、難民支援を行なった。これらの国々では、社会的にも経済的にも宗教的にも価値観も日本の対極にあったのか、日本ではできないような経験を何度もした。ここで述べたら、本題に入るまでに紙面が終わってしまうので、一つだけに。

ソマリアの難民キャンプには、日本にあるような学校がなかった。子どもたちは木陰や日除けの下でイスラム教の授業を受けたり、生き抜くために英語を習っていた。そんな子どもたちが農業のテキストを持っていた。絵がたくさん載っている実践的なテキストだった。聞くと、難民になる前に住んでいた地方の学校では農業を教えていたという。

その後、ケニヤとタンザニアを訪れた時も、やはり学校で農業の授業が義務化されていた。いずれの国々も農業をはじめ一次産業が主たる産業なので、当然と言えば当然かもしれないが、・・・・・・・・。

日本は、戦後の復興の過程で、農業などの一次産業から二次産業、三次産業への業態シフトが国策であった。「食料自給率の低下を食い止める」という政府の掛け声は時代の風に吹き消され、今では掛け声すら聞こえない。

このようになった原因は、既にいろいろ述べてきたが、根本的には国民にあるのではないだろうか。ほとんどの国民は農業に関心がないように私には見える。日々食べている食料に対しても一体どれほど知っているのだろうか。

この無関心こそが農業衰退の根本原因ではないだろうか。

確かに現実的には、「学校で教えてもらわなかったから」かもしれないが、・・・・・・・・。

この世に生を受けた直後、目が開いていない赤子は匂いをかいで乳首に吸い付いていく。誰も教えていない。本能なのである。その本能を満たすために食料があり、その延長線上に食料生産産業があるのではないだろうか。

「学校で教えてもらわなかったから」という言い訳は、人類の脆弱性を物語たっているような気がしてならない。

 

(文責:鴇田 三芳)