「日本の農家のほとんどは家族営農である」と言われてきた。かつて私の実家も、まさにそうであった。両親と兄夫婦の4名が力を合わせて働いていた。猫の手も借りたいような時は、学生の私も手伝った。冠婚葬祭や体調を大きく崩した時以外は、4人が毎日毎日働いて、どうにか家族全員が暮せていた。今から40年も前のことである。その当時、村内の50戸ほどの多くが農家であったが、すでに専業農家は数えるほどしかなかった。その後、就職のために親元を離れた頃は、専業農家は1戸であった。農村が形ばかりの農村になっていった。
私の生まれ故郷は、何も特殊な例ではない。日本の農村の、ごくありふれた情景である。父ちゃんや若い者が外で働き、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんが農作業を担う、いわゆる「三ちゃん農業」の幕開けである。その後は、母ちゃんも農作業から足を洗い、高齢者が主に担うような現代にたどり着いた。
ここで、改めて戦後史を振り返えろう。昭和22年、GHQの占領政策の一環として、貧農を救済するために、いわゆる「農地解放」が断行された。その結果、自作農家が増え、米の生産量も年々増加した。農村にやっと光明がさし始めたのも束の間、機械化で農家自らが人手を減らし、後継者として期待されていた若者たちがきらびやかな都会へと吸い込まれ、農村はあっという間に工業化の波にのみ込まれていった。昭和30年代を境に、農家戸数は減り続け、米の減反政策の影響もあって、政府がいくら補助金を注ぎ込んでも、農業の衰退と農村の荒廃は止まらなかった。そして、今後も止まらない可能性がとても高い。
今から思えば、あの農地解放は、一体、何の意味があったのだろうか。農地を細分化し作業効率を低下させただけでなく、結果的に宅地に転用され、地主と不動産業者と国を潤しただけではなかったのか。また、その当時アメリカが恐れていた日本農民の共産化を阻止したのかもしれない。もしそうであるなら、アメリカの先見力はもの凄い。その一方で、日本政府の先見性を疑いたくもなる。
そして今、TPPという鉄槌が日本の農村に打ち込まれようとしている。日本の農民は、どうしたらいいのだろうか。国が言うような「農産物の輸出拡大」などというスローガンは、現場で悪戦苦闘している農家には空念仏に聞こえてならない。農業の国際競争力が今後それほど簡単に増すのであれば、今までの農業振興策は一体何であったのだろうか。
農業の衰退は、農村の崩壊にとどまらず、食料安全保障上の観点から、国家の、国民の将来を危うくしかねない。この大問題を農家以外の人々はどう捉え、どう対処しようと考えているのだろうか。
TPPが私たちに突きつけているのは、単に経済活動の自由化ではないように私は思っている。それは、「私たちが国家と自国民をどう認識し、日々どう生きていくのか」というもっと根源的な問いではないだろうか。その問いを解く糸口は、私たちの日常生活のいたるところにあるような気がする。スーパーのセールに殺到する人の波に、原発事故の直後に放射能に汚染された水道水を嫌ってペットボトルの水が買い占められた時にも、ネット・ショッピングの画面の中にも、プロ・スポーツの世界にも、教育の現場にも、通勤電車の中にも、そして農村にも、その問いを解く糸口が見えるのだが。
(文責:鴇田 三芳)