第314話 命

百姓雑話

畑のブロッコリ師走ともなると冷え込んだ朝は、写真のように野菜の地上部がすべて凍りつく。人間であれば、さしずめ凍死状態である。しかし、越冬できる植物は、陽ざしを浴びると夕方までには命をふきかえす。

かつて、自然農法を長く実践された故・福岡正信氏が「植物は神である」と言われたが、自然豊かな世界に日々身を置いていると、確かに納得できる。植物などの葉緑体が行なう光合成は神業に思えてくる。

冬のただ中でも、日当たりの良いところでは春の兆しが輝いている。ホトケノザが咲き始め、寒椿が満開である。耕作放棄地や原野に群生しているセイタカアワダチソウやヨモギは、木枯らしに吹かれて種を飛ばしているが、その下の地表では既に新芽が吹き春の訪れを待っている。まさに、「冬きたりなば、春とおからじ」である。

カラスは、群れをつくり協力し合い、冬の食糧難を乗り越えようと必死に餌を探している。畑に置いていた防虫ネットを片付けようとしたら、中から落花生が7、8個ぽろぽろっとこぼれ落ちた。賢いカラスのこと、保存食として隠しておいたのだろう。

ダンゴムシは枯草などの下で身を寄せ合い、テントウムシは陽だまりで、厄介な害虫・ヨトウムシは蛹(さなぎ)になり土の中で、それぞれが春をそっと待っている。

初冬ともなると、障害を負った虫たちを見かけることがある。写真は、片方の羽を失った蜂と5本の足を失ったジョロウグモである。これほどの障害を受けても、どうにか生きていた。凄い生命力である。脚が欠けたクモ

10日ほど前、どこかで飼われていたハトが、帰るべき鳩舎を見失しなったのか、農場に迷い込んできた。人慣れしているため、私が近づいても一向に逃げようとはしない。私は「危ない」と直感した。農場にはネズミや虫を捕るために近所の猫数匹が出入りしているからだ。数日後、案の定、2匹のハトは相次いで食べられてしまった。

自然界には人の力ではどうにもならない摂理が存在する。そこで生きる命はそれぞれ、自然の摂理に従い、正確に季節を刻み、命の循環をくり返している。われわれ人類は、何百万年か前に誕生して以来、肉食獣に狩られる存在であったという。それが、いつの頃からか肉食獣さえも駆逐できる道具を作り、食物連鎖の頂点に立つようになった。

そして今や人類は、命の世界からますます遠ざかり、その強力な道具の数々をあたかも生き物のように思いこみ、崇拝すらし始めている。この性向が今後も加速度的に続けば、「20世紀が人類の大きなターニング・ポイントだった」と気づかされるかもしれない。そして、映画「猿の惑星」のラスト・シーンでチャールストン・ヘストンが砂に埋もれた自由の女神の前で泣き崩れたように。

(文責:鴇田 三芳)