第320話 蜘蛛(クモ)

百姓雑話

皆生農園の農場にはクモがたくさんいる。特に春と秋には、餌となる小さな虫が豊富なためか、クモ嫌いの人が腰を抜かすほどウヨウヨいる。農薬を使っている農場では決して有りえない光景である。クモの卵

クモは、大きく分けて、2種類いる。巣を張って獲物を捕らえるものと、動き回り餌を捕食するものである。クモと言えば、巣を張る前者のものを思い浮かべがちだが、実際は後者の種類の方が多い。

4月のある日、レタスを収穫していたら、写真のようなクモに出くわした。50cmほどの距離であったが、口に卵の塊をくわえ私を睨(にら)みつけ、一向に逃げようとしない。小さい生き物ながら、肉食動物の風格さえ感じられた。小さいクモ

春と秋はクモの出産期でもある。自分の胴体と同じくらいの卵の塊を尻や口に抱えて動き回るクモをたくさん見かける。かれこれ、30年ちかくクモを見続けてきたが、逃げる際に重い卵の塊を置き去りにしたクモを1匹も見かけたことがない。そこには究極の愛情さえ感じられる。

そんなクモを見ていると、「人間とクモとでは、一体どちらが高等動物なのだろうか?」という疑問が脳裏をよぎる。仮に生物の高等性を「命がけで我が子を守りきる」ことで比較するなら、人間よりもクモのほうが高等動物と思えてしまう。

そして、卵を守り切った親クモの背中から、写真のようにクモの子どもらが四方八方に旅立っていく。まさに「クモの子を散らすように」という喩えのようである。はたして何匹が厳しい自然の掟(おきて)の中で生き延び、また子孫を残すのだろうか。

(文責:鴇田 三芳)