春3月、スギ花粉の季節が来た。農場はスギ林に囲まれていて、南寄りの強い風が吹くと、黄色い花粉が煙のように飛散し、野菜や施設の屋根などにも降り積もる。かれこれ40年以上もスギ花粉症に悩まされてきた私には、おぞましい光景である。芥川龍之介の小説「鼻」に登場する僧のように、鼻をむしり取りたくもなる。鼻がつまり、口から息をするのだから、どっちみち鼻などいらない。そんな気分になる。
そこで、花粉対策のためにマスクをつけると、困ったことに、いくつもの弊害を生む。まず、息を吸う時にマスクの外側についた花粉が、息を吐くと、目の周辺に吹き飛ぶので、目がとても痒(かゆ)くなる。
二つ目は非常に息苦しいこと。近年、日本はもちろん、PM2.5の関係で中国でもマスクが急速に普及したので、膨大な数の人々がこの息苦しさに悩まされているのであろう。この息苦しさは、酸欠を引き起こし、脳の機能と体力をかなり減退させている。
三つ目は、息を吸う時により力強く横隔膜を引き下げ、胸骨をぐっと拡げなければならない。そのため、胸腔内の圧力が大きく下がり、心臓の収縮を妨げることになる。一回一回の妨げは微々たるものかもしれないが、拍動のたびに心臓にかかる負担が累積すると、相当なものになると私は思っている。実際、父親譲りで心臓が弱い私は、鼻がつまると心臓がズッキンズッキンと傷むことがある。
余談だが、マスク着用や鼻づまりによる胸腔内の減圧とまったく逆が、咳やくしゃみによる急激な加圧である。これらは、いっそう心臓の負担を増すであろう。私の祖父は喘息(ぜんそく)持ちで、70歳ほどで亡くなってしまったが、私の目の前で胸を押さえながら急に苦しみ始め、20分ほどで息絶えてしまった。今から思えば、たぶん長年の咳による心臓疾患が死因ではなかったろうか。
四つ目は体が熱くなることである。3月ともなると、日差しが強くなり、天気のいい日はけっこう暖かい。少し力仕事をすると、体がポカポカほてる。こんな時にマスクを着けていると、体内で発生した熱を吐息で逃がせず、じっとり汗をかく。私にとっては、これもマスク着用の弊害である。
ここで、改めて鼻の構造をよく見ていただきたい。哺乳類の鼻は画期的な構造をしている。「臭いを感じ、埃や細菌などを除き、吸気を温め過湿する」だけなら、体表に単純な穴があるだけでいい。しかし、もう一つの重要な機能のために、哺乳類の鼻は長く尖っている。この構造によって、吐き出した息が遠くへ飛散し、次に吸う時は鼻の周囲から新鮮な空気を吸うことができる。あまりにも単純な構造と機能のようだが、これによって酸素を十分に取り込め、激しい運動にも耐えられるのである。
このように、鼻が持つ優れた機能をマスクは低下させてしまうのである。
前の第165話「菌」では「過度の清潔癖は、健康管理に関する現代病の一つである」と私見を述べたが、今話で指摘した必要以上のマスク着用と、その背景にある空気汚染も現代病の一つであると私は思っている。戦後の廃墟から復興するために膨大な量の木材が必要と予測し、山だけでなく平地にもスギやヒノキの植林が勧められた。しかし、その掛け声も消えぬうちに、外国から安い木材を輸入した日本。結局、山や林は荒れはて、町や村は過疎化し、残ったのは「花粉症」という国民的な現代病だけであった。
(文責:鴇田 三芳)