第92話 農薬(4)

百姓雑話
これはテストえです

今さら私が指摘するまでもなく、農産物の品種改良と生産技術の向上、とりわけ、農薬と化学肥料の普及が人類の今を支えている。膨張し続けてきた人類のほとんどを飢えから救ってきたことも紛れもない事実であるが、その裏側で人類は重大な過ちを犯してきたような気がする。

これまで3回にわたり、農薬が健康に与える悪影響を述べてきたが、今回は違った側面から農薬の問題を2つ言及したい。

まずはじめは、環境への悪影響である。農薬が普及してから、水田や小川、沼などに生息していた魚やカエル、ザリガニなどの小動物がめっきり減り、それらを食べていたサギなどの野鳥もほとんど見かけなくなった。魚を釣る楽しみが子どもたちから奪われ、トンボの群れもなかなか見られなくなった。どこにでもウヨウヨいたミミズも農薬の犠牲者であろう。畑に生える草の種類も減っている。除草剤の影響かもしれない。土の中の微生物も、絶滅危惧種として騒がれることもなく、すでに激減したかもしれない。

人類は、その知的能力と生殖能力を駆使し、堅牢な家族や機能的な社会を築き、爆発的に増えてきた。その過程で、巨大なマンモスから肉眼では見えない生物にいたるまで、実に多くの種を葬ってきた。その行為が加速したのは化学工業の発展からである。なかでも、農薬の悪影響は大きい。

もう一つはメンタルな影響である。10年ほど前、就農を希望し何軒かの農家で研修を重ねてきた方が私の所を訪ねてきた。いろいろ話すうちに、「生意気なことを言うようですが、農家の方って、あまり深く考えていないような印象を持ちました。作業の意図や理由をおききしても、はっきり言って頂けないことが多かったもんですから。」と言われた。初対面にもかかわらず、本当に失礼な物言いである。しかし残念ながら、我が身を省みれば、あながち否定もできなかった。

どうして農民はそんなふうに思われてしまうのか、その後いろいろ考てくると、思い当たることが3つ浮かんだ。まず、日本では農家のほとんどが世襲であるため、せちがらい世間の荒波にもまれる機会の少ない農民が圧倒的多数であること。次に、身分や給与の保障された公的機関やJAなどの職員が技術を指導してきたため、採算性や現実的な対応が甘くなり、あわせて農業技術が単純化、画一化してしまったこと。

そして、もっとも重大なことは農薬と化学肥料が普及したことである。少し誇張して言えば、農薬や化学肥料を使い慣れると、あれこれ広く深く考えなくても、農産物ができてしまうのである。人は、その本性として、物事を単純化し習慣化し、いちいち考えなくても行動や作業をスムーズにこなそうとする。その本性に農薬や化学肥料はぴったり合致してしまったのである。

このように、農薬の普及は、人類も含めた無数の生物に「取り返しのつかないダメージ」を与え、「思考の後退」も招いてしまった。もちろん、「思考の後退」を招いた原因は農薬や化学肥料だけではない。テレビ、教育の制度と内容、分業化され単純化された生産現場とマニュアル化、パソコンの出現と社会のネットワーク化、・・・・・・・・。人類の進んだ頭脳が生みだしたものが、皮肉にも、逆に人類の「思考の後退」を招いてしまったのである。

(文責:鴇田  三芳)