第95話 桃源郷

百姓雑話

私は田舎の農村で生まれ育った。どの家の屋敷にもいろいろな果樹が植えられ、ほぼ一年中どこかに果物がなっていたていた。それは、まるで村全体が桃源郷のようであった。現代のように甘いお菓子やケーキがあるはずもない田舎では、四季折々の果物が子どもたちの貴重なおやつでもあった。数ある果物の中でも、私は特に柿が大好きで、今でも一年中食べたいくらいである。日本で昔から自生している果物の中では、あの自然な甘みと豊富な栄養を含む柿は最高である。

その柿の木が借りている農地の片隅に何本もあり、今年も赤く実った。とろっと甘く熟した柿を農作業の合間に頂くと、血糖値が上がるためか元気になり、贅沢な気分にもなる。鳥や虫たちも大好物で、彼らと競って食べている。

余談になるが、「柿が赤くなれば、医者が青くなる。」という諺がある。今の若者は聞いたことがないかもしれないが、「柿が実る秋は、気候が良くなり、またビタミンを豊富に含む果物がたくさん採れるため、病気になりにくくなる。そこで、医者に診てもらう人が減る。」というような意味である。

ところで、還暦を過ぎた私だが、元気なうちに是非とも着手したい事業がある。それは、公園や道路沿い、公共施設の周囲、買い手のつかない競売地や相続税を払えないために物納された未利用地などの公有地、さらに長年放棄されてきた農地などに果樹の森を作ることである。市民と行政機関と企業とが一体となって、日本中を果樹の森にしたい。人も動物も四季折々の果物を自由に食べられる森。いわば、「桃源郷」である。「エデンの園」である。

こんな途方もない事業を夢想し始めたのは今から20年ほど前である。きっかけは、南房総に一家で旅行した時、高速道路の路側帯に延々と続く照葉樹林を見たことである。それは、横浜国立大の宮脇昭教授が中心となり植林されものだが、とても人工林とは思えないほど鬱蒼とした森になっていた。

車窓を通り過ぎていく森を見ながら、「この森に果樹が植えられていれば、その実を求めてもっと多くの動物が集まり、いっそう豊かな森になるだろうな。」と思った。そして、この思いが始まりであった。

その後、仕事の関係で船橋市から白井市に転居して、私は非常に驚いた。「もったいない。」と思った。北総鉄道の両脇に幅が100m近くもありそうな草地が延々と続く景観を目にした時である。「農地が狭く食料自給率が下がる一方の日本で、猫の額ほどの宅地のために何千万円もの大金を必要とする日本で、どうして広大な土地が草ぼうぼうになっているのだろうか。莫大な税金をつぎ込み造成した土地が、何十年も有効利用されないまま、税金を使って草刈り業者を養っているだけではないか。どうせ税金を毎年使うなら、延々と続く広大な荒れ地に果樹の森でも作れば良いじゃないか。」と思ったのである。市民の憩いの場になるだけでなく、四季折々に実る果物を誰でも自由に食べられ、無数の生き物が棲息する場ともなる。時には、スポーツ大会や祭りなどのイベント会場として使っても良い。そうなれば、土地の価値は飛躍的に向上する。

そもそも、公有地は国や自治体のものではない。国民の、市民の財産である。それが草刈り業者の仕事場だけになっているのは、実に嘆かわしい。無為無策の極みである。

(文責:鴇田   三芳)