第200話 学びの先に

百姓雑話

学ぶことは真似(まね)ることから始まる。

明治維新の前後から、日本人は西洋文明を盛んに真似てきた。特に工業に関しては、「富国強兵」とか「脱亜入欧」などという勇ましいスローガンのもと、血眼になって物真似した。その姿勢は敗戦後の復興期にも引き継がれ、重化学工業を中心に欧米から積極的に製造方法を取り入れ、安い製品を大量生産してきた。そして、ホンダやソニーなどの一流品が世界を席巻するまでは、メイド・イン・ジャパンは「安かろう、悪かろう」の代名詞であった。今世紀に入って急速に経済発展した中国が「コピー天国」と揶揄(やゆ)されているが、決して他人事ではない。かつて日本も歩んできた道である。

今から40年ほど前、電子部品の設計をしていた時、競合他社が新製品を出すと、それを入手し性能を調べさせられた。もし自社の同等品より性能が勝っていると、それを上回る性能のものを同等価格ですぐに設計するよう指示されたものである。しかし、ほとんどの場合、とりあえずコピー製品を出すことにならざるをえなかった。他者があみだした新製品を手にしたところで、その根底にある理由や思考プロセス、さらには苦労や失敗などを知るよしもなく、ましてや、それらを超える新しいものを生み出すのは極めて難しいからである。

農業分野でも同様である。農民のほとんどは、新しい栽培方法をなかなか実行に移そうとしないで、他人の好例を真似る。多分それは、農民が慎重で保守的であることに起因しているのだろうが、その気質は自然相手の農業が持つ不確実性によって育まれてきたのだろう。天候にしても病害虫の問題にしても予測しにくく不確実性が常につきまとい、新しいことをするには相当のリスクを覚悟しなければならないからである。

さらに、農民が慎重で保守的になりやすい理由は他にもある。それは、農業が儲からないことである。栽培と販売が順調にいったところで、時給7~800円も稼げれば上出来の斜陽産業である。新たなことにチャレンジし、リスクをとるほどの資金的な余裕が生まれるはずもない。結局、自らリスクを取ることはしないで、他人の好例を真似ることによって新しいことを学ぶ。

経済が停滞し始めた頃から、日本でも「ハイ・リスク、ハイ・リターン」という言葉がよく使われるようになった。昔ながらの諺で言えば、「虎穴(こけつ)に入らずんば、虎子(こじ)を得ず」である。「単に模倣し学ぶだけではなく、持てる能力をフルに発揮し厳しいリスクを乗り越えなければ、新たなものを生みだせない」ということである。このことは、自然科学系のノーベル賞の受賞者数を見れば、歴然としている。日本の10倍ほどの国民がいる中国で、受賞者は数人にとどまっている。日本には、欧米を積極的に模倣し学びながらも、学びの先に踏み出そうと人生を捧げた人たちがたくさんいたからである。

しかし、学びの先に踏み出すには、数々の失敗はもちろん、場合によっては未完に終わることも覚悟しておかなければならない。

(文責:鴇田 三芳)