おいしさには価値があります。しかしそれは、個人差はもとより、家庭、経済状況、世代、地域、国、さらには時代によって変わります。
先日、バングラデシュのダッカで7人の日本人を含む23人が殺害されました。その惨劇の舞台となったレストランでは、昼間はパン屋として賑(にぎ)わっていたそうです。日本でも「おいしい」と評判の手作りパン屋がいたるところにあります。パンを単純にカロリー源として考えたら、割高な手作りパンではなく、1斤100円以下の食パンで十分です。まさに手作りパンには、おいしさの価値に対価を支払っているのです。
この行為は、ほとんどの食品に及んでいます。野菜も例外ではありません。長年にわたり直売してきた私の印象として、安全性よりも、どちらかと言えば「安さ」と「おいしさ」を求める消費者が多いように見受けます。とりわけ、「おいしさ」イコール「甘さ」と感じている人たちが圧倒的多数です。
その関係で、野菜を生産する場合いかに甘味をのせるか苦労します。甘味を過度に追求すると、だいたい失敗するリスクが高まり、手間と費用が増し、土地の面積当たりの収入が減り、当然の結果として収益性が悪くなりがちです。それは多分、残念ながら野菜の場合、上記の手作りパンほど「おいしさ」の価値を消費者が高く見ていないからでしょう。
この点が、昔から私にとっては、非常に悩ましい現実です。単純に甘いものをおいしいと感じるのではなく、もっと深みのある味もおいしいと感じる人が増えてほしいと願ってきましたが、・・・・・・・・・・。
その一方で近年、健康上の理由から、糖質の摂取制限や甘いものを控える人たちが増えてきたようです。しかし察するに、彼らは極めてマイナーな存在でしかなく、今でも大勢は甘いものに目がありません。現実には、手作りの和食が家庭からどんどん消え失せ、外食や工場生産食品の味に慣らされる中で味覚の単純化が進み、おいしさの価値が偏極化しつつあるのではないだろうか。・・・・・・・・・・。
ダッカからの訃報を耳にした時、ふっとこんなことが脳裏をかすめました。
(文責:鴇田 三芳)