「農民の仕事は何ですか?」と問われて、皆さんは何と答えるだろうか。「農産物を作ること。」という答えが、多分、一番多いであろう。「農地を宅地に変えて販売し、巨額の不労所得を得ること。」と答える人も少なからずおられるだろう。あるいは、農業政策に批判的な人の中には、「働かないで補助金をもらうこと。」と言う人もおられるだろう。米余りの対策として、水田の作つけ面積を抑えるようと国が長く続けてきた減反政策を皮肉る言葉である。農家でない人がこんな批判を口にするようであれば、相当な農業通である。しかし、こんな批判を言える都市住民は、残念ながら、ごく少数であろう。このことも、日本の食料自給率が上がらない原因の一つかもしれない。
さて、ここからが本題である。「農民の仕事は農産物を作ること。」と言ってしまえば、それまでだが、もっと根本的なことに目を向けたい。
まず、「農民の仕事は農産物を作ること。」というフレーズに私は昔から違和感を覚えてきた。かつて就農にあたって大変お世話になった出荷組合では、出荷する野菜の袋一つひとつに生産者からの短いメッセージを添えていた。その見出しに「私が作った・・・・です。」という野菜の紹介があったのだが、私は疑問を抱きながら書いたものだ。便宜上そう表現したのかもしれないが、そもそも人間に野菜は作れないのである。トマトはトマトの木が作るのであり、トマトもトマトの木も空気と太陽と土などの自然の恵みを頂いて育つのである。農民はその生育過程でちょっと手を貸すくらいであると私は思っている。
その手の貸し方に多くのバリュエーションがあるだけなのである。例えば、農薬を使わないとか使うとか、露地で旬の時期に栽培するとかハウスの中で季節外れに栽培するとか、おいしさを追求するとか気にしないとか、有機肥料のみで栽培するとか化学肥料のみで栽培するとか、あるいは化学肥料と有機肥料の両方を使うとか、堆肥を使うとか使わないとか、機械をあまり使わないとかフルに使うとか。さらに販売まで考えると、農場の近くで販売するとか遠く離れた所まで輸送して販売するとか、消費者との関係を大事にするとかしないとか、とにかく多くのバリュエーションがある。
さらに、このような手の貸し方で、私がもっとも心がけているのは、「作付けした野菜がその生命力や可能性を最大限に発揮できるように、手助けすること。」である。実際それくらいしか私にはできない。研修生にもまったく同じ気持ちで接している。
最後に、上の写真を見ていただきたい。7月上旬から10月下旬まで収穫できたオクラである。生育環境が良いと、オクラはその可能性をフルに発揮し、次から次にたくさん採れる。11月の霜が降りる頃まで採れるのだが、実の位置が高くて収穫できなくなるため10月下旬には引き抜く。たくましく育ち健康的な根がしっかり張っているので、シャベルを使い2人で汗をかきながらの作業になる。
(文責:鴇田 三芳)