第99話 人体実験

百姓雑話

かつてイギリスに、エドワード・ジェンナーという医師がいた。天然痘の予防のために、牛からとったワクチンを使用人の息子に接種して、その効果を試した人である。もちろん現代では、動物実験の前に人間で試すことなど法的に許されるはずもない。そんな命がけの人体実験を敢行するには、相当な確信と勇気が要る。まして現代のような医療設備と技術がない時代である。人の健康と幸福を願う熱意がなければ、到底できないことである。

ところで私も、ジェンナーの足元にも及ばないが、何でも試してみないと気が済まない性格のため、実験が大好きである。大学では、記憶力が劣りノートをとるのも苦手であったため講義には眠気を誘われたものの、実験は嬉々として取り組んだ。就職した会社では運良く設計部門に配属され、電子回路の実験に明け暮れた。結果が予想や期待に反していると、「なぜだ?」と探求心がくすぐられ、徹夜もまったく苦にならなかった。

そして、農業に身を投じてからも、他人と同じことをするのが嫌いな性格も手伝って、とにかく多くの実験を繰り返してきた。しかし、専門知識の不足から、そのほとんどは失敗に終わった。納得のいく結果は1割にも満たないだろう。

有機農業に転換し始めた頃、息の長い実験に取り組もうと決意した。たぶん、最後で最長のライフ・ワークになるかもしれない。それは、自分の信じている健康的な生活を実践し続けた時に、はたして何歳まで元気に動けているか、我が身をもって知る実験である。いわば、人間の潜在的な生命力と寿命を知る人体実験である。具体的に日々実践していることは別の機会に書く予定である。

幸い今までのところ、実験はほぼ順調に推移してきた。花粉症の他には、日常生活に支障をきたすような持病がない。還暦を過ぎた今でも、虫歯は1本もなく、すべて自前の歯である。また、免疫力もかなり高く、インフルエンザに罹っても、まず発病しない。仮に発病しても、薬を飲まず二、三日寝ていれば、回復してしまう。

しかし、今までは順調でも、この人体実験も納得のいく結果が得られないかもしれない。そんな不安がときどき脳裏をよぎる。何しろ、一寸先は闇である。自分の体であっても、自分の努力だけではどうにもならないことが余りにも多い。仕事柄、車を毎日運転しているので、交通事故を起こすかもしれない。健康診断をほとんど受けていないので、もしガンにでもなれば、手遅れになる恐れがある。あるいは自然災害や紛争に巻き込まれない保証は何もない。予期せぬことが我が身に降り注げば、実験はそれで頓挫してしまう。

つまるところ、ほとんどの人にとって人生は、どんなに努力しても、どんなに苦闘してもあがいても、満足な結果など得られずに終わる一回限りの実験なのかもしれない。

(文責:鴇田  三芳)