サラリーマンから農業に身を投じた人を「脱サラ農民」という。私もその一人であるが、世襲した農民と比べ、多くの障壁を越えなければならない。もっとも代表的な障壁は農地の入手である。市町村から農家と認められていない者が農地の購入や賃貸を希望しても、制度的に難しい。他にも障壁が数々ある。施設や機械などの初期投資がばかにならない。本格的に農業を始めるなら、1000万円くらいは用意しておかなければ、非常にきつい。販路も基本的に自分で開拓しなければならない。大方のサラリーマンが経験しないような障壁に何度も進路を阻まれる。自営を始める者の宿命かもしれない。
さて、戦後の高度経済成長のあおりを受け、都市が肥大化する一方で、農村は疲弊してしまった。その原因はいくつもあるが、その一つが組織力であると私は思っている。農家は、運命共同体としての家族で自営し、基本的に家族以外の者を雇用してこなかった。だから、サラリーマンと比べて組織を運営する必要性と機会が少なく、組織力がほとんど蓄積されてこなかった。くわえて、農家の兼業化にともない、村内の自治活動や相互協力も減っていき、村全体としての組織力も衰退してきた。農村の過疎化に拍車がかかると、組織力の衰退どころか、家族や農村そのものの崩壊が進み、ほとんどの農民は組織力と資金力の豊富なサラリーマン社会に呑み込まれてしまった。
そしてついに、農政の規制緩和を受けて、5、6年前からサラリーマン社会が農業に参入し始めている。その強力な組織力と豊富な資金力を背景に、スーパーやコンビニ・チェーン、外食産業などの食品関係の会社から、まったく農業と関係ない異業種の会社まで、さまざまな企業が農業に参入してきた。
しかし、組織力と資金力が潤沢にある企業でも、従業員をサラリーマンとして雇い、はたして農業部門だけで純益を出しているのだろうか。はたしてサラリーマン農業が日本農業の一角を占めるまでに成長できるのだろうか。
現時点での私の結論は、「今までのような社会状況が続く限り、ほぼ不可能。」である。もちろん、今でもサラリーマン農業で経営が成り立っている会社はあるが、日本農業の総生産額と比べたら、四捨五入すればゼロになるほど微々たる生産額である。
では、なぜ日本ではサラリーマン農業が困難なのか、思い当たる問題を三つ挙げる。まず、日本の農地に問題がある。北海道や一部の水田地帯を除けば、一枚の農地が非常に狭く、利用効率がきわめて悪い。加えて、いたる所に耕作放棄地があり、営農している農民にとっては百害あって一利なしである。二つ目の問題は、天候などの自然環境の悪影響を頻繁に受けることである。台風でも接近すれば、その対策のために休日など返上し、暴風雨の中で非生産的な仕事を黙々とこなさなければならない。また、自然災害による被害を補償する保険など実質的にはない。週休二日と労働保険に守られてきたサラリーマンが農業のこんな過酷な労働条件に耐えられるだろうか。そして、三つ目の問題は農産物の利益率が非常に低いことである。例えば、キャベツや大根、白菜などの大型野菜が値崩れすると、中身の野菜の値段よりも、それを入れる段ボールと輸送の費用の方が高くなり、出荷すればするほど赤字になるのである。人件費を稼ぐどころではなくなる。
それでも、家族営農を続けている既存の農家だけではなく、サラリーマン農民を雇っても経営が成り立つような会社が増えないと、日本の食料自給率は向上しない。
(文責:鴇田 三芳)