第101話 農村と都市

百姓雑話
凍てつく厳寒の中、タンポポの花が咲いていました。

いつの世も人類は、集団や社会を形成し、助け合い、力を合わせて生き延びてきた。

しかしその一方で、武力や経済力、習慣や制度、法律や宗教、権威や権限などを駆使し、他者を搾取してきた。なぜなら、搾取すること、奪うことは生きることの本質に関わることだからである。誰しも自分の胸に手を当ててみれば、わかるはずである。歴史をさかのぼれば、農耕文化が芽生えた頃から都市が農村を搾取し始めた。近代では、ヨーロッパ各国が世界各地に植民地を設け原住民を搾取してきた。そしてさらに、ヨーロッパで搾取されていた人々が新天地・アメリカに渡り、皮肉にも立場を逆転して、先住民の命や土地を奪い有色人種を搾取してきた。日本もまた、綿々と搾取の歴史を歩んできている。

ところが戦後、日本では都市による農村の搾取が崩れつつあるような気がする。その背景には、身分制度の撤廃や急速な工業化にくわえ、各種テクノロジーの発達や教育の普及があるだろう。そして、もう一つが農村の衰退である。

そんな衰退を私も身近なところで見てきた。農家の三男として生まれ育った私は、成人後は都会でサラリーマン生活を始めた。戦後の経済成長期においては、ごくありふれたライフ・スタイルで、実に多くの農家が子どもたちを都会に送り出してきた。儲からない農業に我が子を就かせまいとする親心からである。私の実家も例外ではなく、母は「農家に嫁いで大変だった。だから、娘は絶対に農家には嫁がせない。」と言い、そのとおりにした。「お前は大学を出てサラリーマンになれよ。」と父は何度も私に言いきかせた。

こんな農村社会の急変の背景には、経済的な理由だけでなく、作業現場の変化もあった。それは、莫大な公費を投じて水田が整備され便利な機械が普及したために、どの農家も働き手を減らさざるをえなかったのである。

そして、もう一つの根深い背景があったと私は思っている。「都会に搾取されるのはもうご免だ。」という強い願望が、1000年以上も抱いてきた悲願が農村に充満していたように思える。だから農民は、搾取される側の農村から搾取する側の都市へと我が子を送り出してきた。それはまるで子どもたちが、いじめられるのが怖いからと、いじめる側に回る行動とまったく同じである。

さらに、農村に残った農民は、敗戦にともなって降って湧いた千載一遇のチャンスを逃すまいと、選挙をフルに利用してきたのである。だから必然的に、農村の投票率が都会のそれを大きく上回るのである。そんな時代の要請を背負って登場した田中角栄氏をはじめ、何人もの首相や多くの議員が農村の活性化のために半世紀以上も尽力してきた。しかし残念ながら、農村の衰退は止まらなかった。

今や、農村の衰退が行き着くところまで行き着いてしまった。そして世界に目を向ければ、日本が歩んできた戦後の道程を、中国をはじめ、経済がめざましく発展している国々もひたすら突き進んでいる。

結果的に都市は、搾取する農村を失い、活力の源泉を絶たれてしまった。くわえて、右肩上がりの経済が崩壊したこともあり、都市住民が都市住民を搾取する関係が始まったのである。非正規労働者や派遣社員が急増してきたのは、その一例である。たぶん根本的な変化がない限り、今後もこの搾取関係は増すであろう。少子高齢化とも相まって、いっそう厳しい社会になるかもしれない。

(文責:鴇田 三芳)