第130話 虐(しいた)げられた者が新しい時代を切り拓く(2)

百姓雑話
凍てつく厳寒の中、タンポポの花が咲いていました。

人類は賢いか、それとも愚かなのか。難しい問いである。これから述べることは、どちらかと言えば「人類は賢い」という観点から考察した結果である。

前話では、「いにしえより虐(しいた)げられてきた農民が搾取されない時代が来る」と述べた。その根拠として、人口の爆発的急増、核兵器の保有、民主主義、経済のグローバル化という世界的状況を挙げたが、今話ではこれら4つの状況と農民の解放との関連を考えてみたい。

まず、人口の爆発的急増を起点に考える。この急増は、多少のブレーキがかかることはあっても、今後数十年は反転しないだろう。急増の根底に生物としての本能があり、くわえて突出した生殖能力を持つ人類が自然に減っていくとは考えにくいからである。日本や韓国は例外的な国である。中世、ヨーロッパで伝染病が発生し人口が1/3に激減したことがあるが、教育と医療と情報ネットワーク、さらに交通網の発達した時代において、中世と同じようなことは起きようがない。人口が減るとすれば、核戦争か巨大隕石の衝突、あるいは地球外生命体による侵略くらいしか想像つかない。この中でもっとも具体的に懸念されるのは核戦争である。

しかし、これだけ核兵器が世界中に拡散してしまった状況下では、国家間で「刺し違え」を覚悟しない限り、核戦争を起こせない。私には人類がそこまで愚かとは思えない。

結局、人口の急増が反転することはなく、世界的な食料不足が進む。さらに人口の増加だけでなく、肉食化と農地の荒廃がそれに拍車をかけ、食料生産の重要性がいっそう高まる。

そうなった時、昔のような国家による食料統制が起きるだろうか。否である。長い抑圧と侵略の歴史から人類が学び取った民主主義がそれを決して許さない。まして、これだけインターネットが世界の隅々まで行き届いた時代に、国家による市民への抑圧的統制は不可能である。近い将来、中国がそれを証明するであろう。

国家による食料統制が困難でも、企業などによる買い占めが懸念される。この可能性は否定できない。しかしそれでも、急速に進みつつある経済のグローバル化が買い占めを低減することは間違いない。そして良くも悪くも、この経済のグローバル化が後退することはないであろう。私たちの身の回りを取り巻く品々を見れば、それは明白である。根本的には、経済のグローバル化は、単なる経済の問題ではなく、物質的な豊かさを求める人類の必然的な選択であるとともに、武力による物品の争奪に明け暮れてきた人類が民族間や国家間の争いを乗り越え「一つの人類」になるためのラスト・チャンスだからである。

このように、人類がかつて経験したことのない4つの世界的状況を論理的に繋いでくると、「虐げられてきた農民が、その抑圧や搾取から開放され、新しい時代を切り拓く」時はすぐそこまで来ていると帰結する。

(文責:鴇田 三芳)