第275話 徹底する

百姓雑話

霞を喰っている仙人か万物を悟った聖人でもない限り、人は誰でも何らかのこだわりを持って生きている。そして、こだわりは、欲望と知識と体験に裏打ちされた、一つの重要な自己表現であり、各人のアイデンティティーと見ることができる。

人類は高度な知能を持ち複雑な社会を作り上げたため、こだわることの内容や程度は今や千差万別である。他人から見ればどうでもいいことでも、そのことに強いこだわりを持っている本人からすると、そのことを徹底しないと気がすまない。徹底することに生きがいを感じ達成感に満たされる。もし徹底できないと、強いストレスを受けたりもする。

こだわりによって何かを徹底する以外に、もう一つの理由で徹底することがある。それは仕事である。曖昧さが許されない仕事の場合、「やるべきことを正確に行なう」ことに徹しなければならない。特に理工系の仕事では、それが要求される。厳しい労働環境が続く現代では、いい加減に仕事をしていれば、それだけで解雇されかねない。自営業なら間違いなく廃業に追い込まれる。

例えば、コンピュータ・プログラミング。この作業は、決められている約束事を徹底しなければならない。延々と続く膨大な量のプログラムも、一か所でも間違いがあれば、正確に動かないのかもしれない。神経をすり減らす仕事である。高層ビルの建築も同様であろう。設計図にそって、決められた手順を正確に徹底していかないと、強度と精度が保たれない。手抜きでもすれば、人災をまねきかねない。

それでは、私が身を置く農業の分野はどうであろうか。私の知る範囲で言えば、残念ながら、総じて作業の徹底が不十分なように思える。自分なりに理由を探ってみると、3つ思い当たる。それは変動要因と採算性と高齢化である。

農業には変動要因がいくつもある。その最たるものが日々の天気や年ごとの天候の変化である。マニュアル化されたことを毎年毎日ただただ徹底すればいい、という訳ではない。いろいろなパターンや多種の方策があり、状況に応じて、それらから最も適切と思えることを選択し実行しなければならない。

次に採算性がある。最適な方策がわかり、それを徹底しても、その労働に見合う報酬が得られるかと言えば、ほとんどノーである。残念ながら、そこまでの努力が消費者に伝わらないのである。「安ければいい」という意識の消費者が圧倒的多数のためである。例えば、防虫ネットで野菜を害虫から守れることは明白なのだが、現実には、そのネットを買うコストとそれで野菜をおおうコストを販売価格に転嫁しにくい。安全性に気をつかう消費者しか高く買ってくれないのである。だから、日本では農薬を使わない農家が一向に増えず、安全性の徹底が根付いていない。

もう一つ、高齢化の要因も大きい。徹底しようにも、体がついていかないのである。昨年の秋から今冬まで野菜の値段が高止まりしてきた。秋の長雨が半端ではなかったためである。連日の雨模様で、種が蒔けず、苗が植えられなかったからである。雨の合間をみて植え付けても、雨が農地に溜まり病気や根腐れが大規模に発生してしまった。

実は昨夏、気象庁が秋の天気の傾向を事前に予測していた。まさに結果はそのとおりであった。だから、ほとんどの農家は適切な方策を知っていたはずである。にもかかわらず、適切な方策が徹底されなかった。老体に鞭打つのも、もはや限界なのである。

何はともあれ、自戒の念を込めて言えば、徹底するのは本当に難しい。

(文責:鴇田 三芳)