第129話 虐(しいた)げられた者が新しい時代を切り拓く

百姓雑話

恐竜などの大型動物が繁栄していた頃、哺乳類は、常に肉食動物に狩られる危険のなかで、ひっそりと生き続けてきたという。今のネズミのようなものであったかもしれない。その当時の哺乳類は、後々こんなにも繁栄する時代が来るとは、とても想像できなかったに違いない。

植物の世界でも、同じことが起きてきた。その変遷を生態学の用語で「植生の遷移」というらしいが、現代の短期間を見ても、やはり虐られやすい植物でもしたたかに生き延びている。例えば、小松菜がそうである。関東人の食事に欠かせない小松菜は、成長力の大きな夏草が寒さのために生えにくくなった頃、そっと芽をふく。厳寒のなかをゆっくり育ち、来春には他の草が生えないほど茂る。そして写真のように、見事な黄色い花をたくさん咲かせ、大量の種を大地にふりまき、夏草が枯れる秋を待つ。

人類の歴史をふり返ってみても、まったく同じことが言える。今の中国も、虐げられていた農民階級の支援をうけた共産党が長征の末に権力を握ったものである。また、アメリカ社会の中心にいる白人たちのルーツは、かつてヨーロッパで虐げられ、新天地を求めて移住してきた人々がほとんどである。日本に北方や南方から渡ってきた人々も、それまで住んでいた社会のなかで虐げられていた人々ではなかったろうか。

ところで、農家の三男として育った私は、都会の高校、大学、会社へと通うようになり、農家出身であることがとても嫌であった。都会育ちの同級生は小学生の頃から学習塾に通い、利発で、私は劣等感にさいなまれた。その劣等感の根底には、農民が昔から延々と虐げられてきた下層階級であったという厳しい現実があった。30代になり、難民キャンプで救援活動を行なうなかで食料生産の重要性を痛感し、農家出身という劣等感をやっと乗り越えられた。

理屈では、あるいは理想としては、「人の価値に差はなく、職業に貴賤はない」と言われているが、現実は理想から大きくかけ離れている。農民は、人々の命を支えてきたにもかかわらず、いにしえより非農民から抑圧され虐げられてきた。農民に支援されて政権への道を歩み出した中国共産党でさえ、結局は農民を搾取してきた。

しかし、世界の状況がこのまま進めば、農民が搾取されない時代が必ず来る。「虐げられた者が新しい時代を切り拓く」時がそこまで来ている。なぜなら、人類はかつて経験したことのない状況に置かれているからである。それは、人口の爆発的急増、核兵器の保有、民主主義、経済のグローバル化である。この4つの状況が変わらない限り、農民が搾取されない時代が来ると私は確信している。そして多分、その大規模なうねりは中国から始まるような気がしてならない。

(文責:鴇田 三芳)