第131話 追体験(1)

百姓雑話

人力草取具6月というのに、寒い。小雨の中、今年も水田の草取りをした。

5年ほど前から友人の田んぼの一枚を借り、農薬を使わず、もっぱら昔ながらの人力草取りである。早苗の間を写真のような除草機を押すと、前後の爪が回転し、雑草を土から取り除くのである。地主の家にも同じ機械があるが、もう何十年も使っていないという。その古い機械を一度借りてみたが、鉄と木でできているため、とても重く、体にこたえた。いま私が使っているのは、アルミ製で、昔のものに比べたら非常に軽く扱いやすい。あんな重い機械で除草していた昔の農民は、よほど力があったのか、それとも根性があったのか。

私は、水田地帯の農家に生まれ育った。三男ということもあり、農作業は日頃ほとんど手伝わなかったが、それでも田植えと稲刈りの時期は、駆り出された。小学校も、早く家に帰って手伝うようにと、これらの時期は午前中だけであった。

しかし、米作りがほぼ完全に機械化されてからは、親戚縁者の助けを借りる必要がなくなり、子どもが田植えや稲刈りの手伝いをする機会もなくなってしまった。瑞穂(みずほ)の国の農民が、便利さの代償として、何か大事なことを失ったような気がしてならない。

ほぼ機械化されたとは言っても、もっとも厄介な作業が残された。草取りである。それを克服したのが、除草剤の開発である。幼い頃に見た高齢の農民の多くは腰が曲がっていたが、それは草取りのためであったろう。特に女性は、腰の筋力が弱いためか、ほとんど曲がっていた。中には、日常生活もままならないほど腰の曲がったお婆さんもいた。

まさに除草剤は、稲作農民にとっては、救世主であった。もちろん、今でも除草剤のない稲作はありえない。農林水産省の古い統計データから推察すると、日本の農民がもっとも使用している農薬は除草剤であろう。その除草剤は、画期的な貢献の一方で、水田や小川の生き物をほとんど絶滅させてしまった。私が草取りしている田んぼにはオタマジャクシやアメリカザリガニはもとより、本当にたくさんの生き物がいて、ときどき素足で踏みつけてしまうほどである。しかし、となりの水田には小動物の気配がまったくない。

私が、きわめて小規模ながら、除草剤を使わず昔ながらの人力除草をしているのは、安全性の高いお米を食べたいという動機もあるが、主たる理由は「追体験」である。昔の稲作農民の、そして両親の苦労を追体験するのが目的である。

産業革命以降、人類が急速に発展してきたのは、古い発明や開発の上に新しい発明や開発を積み重ねてきたからである。過去の発明や開発は知識や情報として若い世代に教え込まれ、手間暇かかる追体験を省力してきたから、急速に発展することが可能であった。物質的な豊かさを際限なく追求するために、このような進歩の仕方を当たり前と受け止めてきた。国家としても、そうしないと、国の存続さえ危ぶまれたからである。そして今や、世界の隅々までインターネットで瞬時に情報が行き来するようになり、その傾向はいっそう強くなった。既存の知識や情報を疑いもせず、竹の子のように一気に上へ上へと伸びてゆく。

しかし、本当にそれで良いのだろうか。

(文責:鴇田 三芳)