第175話 過去で生き、未来を喰いあらす

百姓雑話

今だけで生きるのは、とても難しい。限りない欲望を満たすため、ついつい過去で生き、時には過去をむさぼり喰い、未来をも喰い荒して私たちは命をつないでいる。人類の歴史で、こんな貪欲な行為が世界規模で横行した時代はあったのだろうか。

一つの典型的な例が石炭や石油などの天然資源に依拠した文明である。はるか太古の昔、人類の歴史よりも桁違いに長い期間をかけて植物や動物が太陽のエネルギーを蓄積した資源をごく短期間で使い果たそうとしている。まさに過去で生きている。

身近な社会を見ても、同じようなことが平然とまかりとおっている。日本では、右肩上がりの経済が崩壊してから、ほとんどの企業は従業員を非正規化したりパート化して人件費を削減してきた。しかしその一方で、いまだに過去の実績や功労を糧に会社や公的機関に居座り、高額な所得を得ている中高年が多い。これも、過去で生きているようなものである。一度手にした地位と権力を盾にして、既得権益にしがみついている。実力勝負の世界で生きている者から見れば、そのような人々は見苦しく映るのではないだろうか。

実力の世界と言われているスポーツ界にも、日々の実績だけではなく、過去の実績に生かされている選手たちがいる。例えば、プロ野球選手である。プロ・ボクサーやプロ・ゴルファーのように試合ごとの賞金で喰っているわけではない。実力勝負と思われがちなプロ・スポーツ界でこうである。

数年前から、団塊の世代が次々と定年退職している。これらの人たちうち、その大方は比較的高額な給与を受け取っていたサラリーマンである。したがって、彼らが退職後に受け取る年金も、もちろん高額になる。今でも心配されている年金財政は、今後ますます悪化するだろう。消費税を10%に引き上げたくらいでは、とうてい賄えるはずもない。必然的に、高額な年金を支えるのは若い勤労者になる。いわば、「若者の未来を喰いものにしようとしている」と言えなくもない。

かく言う私も今年から年金をもらえるようになった。しかし、20代の5年間しかサラリーマン生活を送っていなかったので、その額はごくごく微々たるものである。若い人たちの未来を喰い荒すほどではないだろう。ほっとするような、懐具合が寂しいような複雑な気持ちになるが、自らの選択の結果なのだから、仕方がない。

(文責:鴇田 三芳)