第132話 追体験(2)

百姓雑話

美輪明宏氏が歌う「ヨイトマケの唄」は戦後の経済復興を象徴するような歌である。歌の中で、主人公は大学を出てエンジニアになる。まさに団塊の世代以降の花型職種であった。全国各地の工業高校や大学の工学部に学生が殺到し、今では想像もつかないほど工学部の受験倍率が高かった。

ところで日本は、明治維新後、アジアの国々の中ではいち早く欧米先進国にキャッチ・アップした。その理由としてよく指摘されるのは、庶民のレベルまで教育が行き届いていたことである。江戸時代後期には、日本の識字率が欧米のそれをはるかに上回っていた。幕府や藩の学校だけでなく、寺子屋や私塾はいたるところにあり、江戸だけでも1000カ所以上の寺子屋があったという。今なお政界に影響力を残している「松下村塾」もその一つに過ぎない。

そして、もう一つ忘れてならないのは職人の存在である。江戸時代の「士農工商」という身分階級でいえば、「工」にあたる庶民たちである。その職人の伝統が、戦後におけるエンジニアの量産につながったと思われる。そして、輸出大国となる過程で、各種のエンジニアは多大な貢献をした。まさに技術立国の要であった。

しかし21世紀になり、その技術立国があやしくなりつつある。かつて日本の独壇場であった半導体産業は韓国などの企業に追い抜かれ、家電製品は中国製にとって代わられてしまった。かつての花形産業の中で、かろうじて自動車産業だけが奮闘しているだけである。

かつてエンジニアのはしくれだった私は、このような結果になってしまった原因を探ってみたら、「ほとんどの日本人がエンジニアと職人の違いを明確に意識してこなかった」ことに行き着いた。

エンジニアになるには既にある理論や技術を学校などで学習する。それを基礎にして新しい物を作る。その一方、職人は昔から受け継がれてきた匠の技を師匠からじっくり習い、まずは師匠と同じ物ができるように励む。基本的に理論や理屈でなく、時間をかけて一から追体験する。エンジニアと違い、どちらかと言えば、勘と体が職人の命である。したがって、身につけた匠の技を他人が簡単には盗めないのである。逆に、エンジニアが作り出したものは、他の者が簡単に模倣できてしまう。だから、エンジニアが作った物は特許で守らざるを得ないのである。

このように理解すれば、なぜ日本が技術立国から滑り落ちそうになっているか推察できよう。

私たち人類は、急速な発展競争に明け暮れるあまり、体験から学ぶことを長らくおろそかにしてきた。しかし、世界的規模で大きな転換点を迎えている今、体験から学ぶことの重要性と必要性を再認識し、知識や情報に偏ったバーチャルな世界から人間が本来持っている理性と感性を取り戻そうではないか。

(文責:鴇田 三芳)