「農業が性に合っている」とか、「農作業が好きだ」という農民は非常に多いと思われる。でなければ、肉体的にきつく天候に振り回され、その挙句、さして儲かりもしない、そんな職業など続けられない。
だが一体、「生業としての農業が楽しい」と思っている農民が一体どれほどいるのだろうか。今まで数多くの農民にお会いしたが、楽しそうに農業をしている人は2人しかいなかった。私も、そのお二人のように、農業を楽しみたいとずーっと思いながら、農業を続けてきた。そんな思いから、20年ほど前に設立した農業生産法人「三自楽農園」は、名称の真ん中に「楽」を入れた。
しかし、現実は厳しかった。
農民の減少が続いている。国や地方自治体は、補助金や基盤整備などの政策を何十年も続け、近年は「農業の6次産業化」とか「農産物の輸出拡大」などと掛け声高らかに農業の衰退を止めようとしているが、一向に歯止めがかからない。この現象は日本に限ったことではなく、今や人類全体の現象であり、たぶん有史以来の激変であろう。その主因は、もちろん「農業が儲からない」からである。他の理由もある。例えば、儲からないから新規の投資ができない。なかなか休みが取れない。有給休暇などあろうはずもない。労災保険や雇用保険もない。そんな職業にあえて就こうとする若者などそうそういない。まったく農業は「ないない」尽くしである。
さらに、もうひとつ理由をつけ加えるなら、「農業は楽しくない」がある。これも決して見逃せない理由である。上述したように実際のところ、農業を楽しんでいると私が思えた人は、たったの2人だけ。2人しか出会えなかった。
ところが、その方々は、もともとの農家であり、それなりの資産を持っておられた。働き者の奥様がおられ、子どもはいなかった。要するに、ガツガツお金を稼ぐ必要がなく、農業を楽しめる確率が高い状況の方々であった。
子どもがいて農外収入のない農家が楽しそうに働くのは、従来のような営農スタイルを根本から見直し、新たな発想から知恵をしぼり出さないと、きわめて難しいと私は思っている。働ければ報われる農業、時間的な余裕を持てる農業、そして人の命を支えているという誇りが持てる農業。ほとんどの農民が今まで体験したことのないような、こんな農業への道を拓かないと、普通の人は農業を楽しめないだろう。
高齢者の域に入った私だが、体が許す範囲で、さらに20年は農業を続けるつもりである。その20年の大きな目標の一つが、「楽しめる農業」への道筋を見出すことである。
(文責:鴇田 三芳)