第149話 収穫

百姓雑話

畑をわたる秋風がとても心地良い季節になった。陽だまりで飲む熱いミルク・ティーは全身をグッと活気づけてくれる。農場は今、作付けがほとんど終了し、草や病害虫の被害から開放され、本格的な実りの秋を迎えた。この時期になると、もう今年も終わりという気分になる。

ところで、農業分野では、「技術」と言えば、普通それは「栽培技術」を意味する。土を良くするのはどのようにするのか、どんな野菜をいつ作付けるのか、肥料はどのように施すのか、機械をどう使ったら有効か、病気や害虫の対策はどのようにするのか、畝(うね)の種類や作り方は・・・・・・・・、温度や水の管理は・・・・・・・・。

しかし残念ながら、収穫の終わった畑の片付けとか草対策を技術と呼ぶ人は、まずいない。収穫や荷造り作業でさえ、技術を要すると思っている人は極めて少ない。それは、農業関係の指導書や市販の図書を見れば、明白である。農業関係の学校や学部でも、それらの作業の必要性は一応教えても、その重要性と適切な方法は教えない。ちなみに、私の農場を視察に訪れた人たちの中で、畑の片付け方法とか草の対策について質問してきた人は、一人もいない。収穫に関する問いは「この品種はいつ作付けるといつ収穫できるのか」という程度である。荷造り方法にいたっては、まったく関心を示さない。

そもそも、畑の片付けや草の対策、収穫や荷造りなどの作業は「できて当然」、「やって当たり前」とみなされ、「特に高度な技術など必要ない」と思っている農民や指導者が圧倒的多数である。「そんな思い込みや固定観念、あるいは偏見があるから、まともに利益が上がらず、次々に挫折していくのである」と言えば、言い過ぎだろうか。

さらに、少し乱暴な物言いに聞こえるかもしれないが、農業で喰っていくための栽培技術は、高等学校程度の理系の基礎知識があり栽培が好きであれば、早い遅いの個人差はあっても、誰でも体得できる。もし体得を急ぐのであれば、栽培技術をしっかりマスターしている農家で2、3年、研修を兼ねて働けば、それで十分である。

ところが、畑の片付け、草の対策、収穫、そして荷造りは違う。畑の片付けとか草の対策には性格が大きく影響し、収穫と荷造りは器用さが決め手になるので、本を読んだり、高校や大学などの公的機関で研修したところで、ほとんど役に立たない。農業を教えている先生自らが農業に身を投じないことが、その証左である。

取るべき手立ては、改善すべき点を明確に自覚し、意識的に作業の改善をこつこつと重ねることである。それでも、1年や2年で、普通の精神力の人はそうそう変わらない。実際、就農にあたって私は2年ほど専業農家で実習したが、栽培技術は学べたものの、その他の技術はほとんど身に付かなかった。独立後、10年以上の試行錯誤を重ね、どうにか自学した。

繰り返しになるが、農家として喰っていけるかどうかは、栽培技術はもちろんだが、畑の片付け、草の対策、収穫、荷造り、そして経理が満足にできるかどうかにかかっている。中でも、収穫と荷造りの能力がもっとも重要である。ちなみに、私が栽培している野菜の中では、春菊、菜の花、大葉、モロヘイヤ、パセリ、エン菜(別名:空芯菜)、中春から初夏にかけてのブロッコリーは、特に収穫が決め手になる。栽培は簡単である。

(文責:鴇田 三芳)