第158話 厳しい試練の先に(2)

百姓雑話

近年、農業を「6次産業」とか「成長産業」とか、政府やマスコミ、知識人と言われる人たちが農業の将来性を喧伝している。しかし、農業を継続していく困難さは、なかなか語られない。そこで今話では、改めて農業の厳しさを述べてみたい。これから就農を計画している人々の、何かの参考になれば、幸いである。

私が就農した当時は、バブル経済の最盛期で、農地の入手がきわめて難しい時代だった。実際は農業をしていない農家、いわば「名ばかり農家」が農地を貸してくれない。いずれ農地を宅地にして高く売りたいと思っていたのだろう。市役所に行って協力をお願いしても、まったく力になってくれなかった。行政としては、いつまで営農できるかどうかわからない新規就農者に農地を紹介するよりも、その土地が宅地として売れ多額の税金を得る方が確かに魅力的である。

その当時から比べれば、国や県、そして市町村レベルの行政機関が新規就農者に対して非常に協力的になったが、農地の入手は今でも相当難しい。農地をめぐる法律や制度、システムが根本的に変わらないかぎり難しい状況は続くであろう。例えば、農業委員会による農地の賃貸や売買の許可制度を撤廃し、農地も宅地のように自由に売買できるようにするとか、戦後の農地解放のように耕作放棄地は都道府県か市町村がただ同然で没収するとか、とにかく思い切った政策転換が必要である。

二番目の試練は自然の脅威である。自然は、余りあるほどの恵みを与えてくれる一方で、つねに脅威もあわせ持つ。なかでも、もっとも厳しい脅威は台風による暴風雨である。激しい暴風雨の最中にびしょびしょになりながら対処する辛さはとても一言では語れない。そんな作業を必死にしても、暴風雨があまりにも激しくなると、いとも簡単に作物をボロボロにしてしまい、苦労が一瞬にして水の泡になってしまう。露地栽培からハウス栽培に移行する農家が後を絶たないのは、そのためである。

三番目の試練は指導者と協力者である。しっかり営農している農家や農業塾、学校や公的機関、さらにJAなどにおられるが、問題はそれらの指導者が農業経験の乏しい新規就農者にとって「良い指導者」であるかどうかである。私の経験では、そういう方は非常に少なかった。今まで、根っからの農家の方々に相当お会いしてきたが、非農家出身の新規就農者の窮状を深く理解し、損得勘定抜きで支援してくれた人は、たった一人だった。その方は5年ほどの間に、私も含め4名の新規就農者の定着に尽力された。新規就農者に農地を紹介してくれたり、販路を世話したり、時には重機で耕作放棄地を自費で開墾し貸してくれたりと、実に献身的な方であった。たぶん、このような方はごく少数であろう。

そして、四つ目の試練は健康管理である。これは、何も農業に限ったことではない。組織の中で責任の重い人や一流のスポーツ選手などは、ストイックなほど健康管理をしている。あの家康などは、自分で作った漢方薬を飲み長生きし、天下を手中に収めた。

一言で言えば、自営農民はサラリーマンとまったく違う。農業は、肉体的に過酷な職業で、労働環境が悪い。つねに危険と背中合わせである。それにもかかわらず、労災保険も実質的には機能していない。農作業中にギックリ腰をしても、いっさい保険の対象にはならないのである。農業どころか、生活に支障が生じかねない。

そんな職業ではあるが、今年も元気に働くことができた。感謝、感謝である。

(文責:鴇田 三芳)