第150話 農業を楽しむ(1)

百姓雑話
これはテストえです

農業は儲からない。ひと儲けしようと始めても、後悔するだけである。そんな儲からない職業をあえて選ぶからには、何か別の価値を農業に見出さないと、長続きしない。例えば、食べてくれる人々が健康に暮らせることに喜びを見出すとか、耕作放棄地を引きうけ農村地域を活気づけるとか、他に類をみない独特な栽培方法を考案するとか、実践経験を十分つんで国内や海外で指導にあたるとか、人生に疲れた人や都会の人間の憩いの場を提供するか、・・・・・・・・・・。挙げればきりがないが、農業を心から楽しむことも一つの重要な価値ではないだろうか。

ところで私は、新規就農者に冷ややかな時代に就農したため、とにかく次から次に厳しい試練にさらされてきた。そのたびに「楽しく農業をしたい」と心で叫びながら、試練に耐えてきた。

そんな経験から、農業を心から楽しむための営農姿勢を自分なりに見出した。それは以下のようであるが、もちろん、継続するためは利益を出すことも欠かせない。何はともあれ、まずは農作業が好きであること。寝る間を削ってでも農作業をしたいくらいでないと、「好き」が長続きしない。次は、ことあるごとに、よく考え創意工夫を凝らすこと。好きならば当然できるはずである。もし創意工夫ができないなら、心底好きとは言えない。ここまでなら、趣味と何ら変わらない。

ここから先が農業、つまり生業の領域に入る。第一に、つねに学ぶこと。農業関係はもちろん、多方面のことも学び続けること。どんな仕事でも同じだが、学ぶことに横着な人、あるいは嫌いな人はなかなか向上しない。なかなか向上しない労働に楽しさを見出すのは難しい。

第二に、少しずつでも失敗率を減らして行くこと。失敗ばかりしていては、利益が出ないばかりか、楽しくなくなる。そして、自分の未熟さや愚かさによって失敗しても、けっして自己嫌悪に陥ってはならない。重要な経験を積むための授業料、あるいは後々の収益を出すための投資と失敗を肯定的に受け止め、改善策を考える。

第三に、個々の農作業を適切かつ迅速にこなす能力を向上させること。能力向上に終わりはない。加齢とともに年齢的な限界が出てきた場合は、同じような効果や結果を得るための別の方法を考え出す。人間の知恵と肉体的な能力には測り知れない奥深さがある。

第四に、自然の脅威に耐えること。自然は、溢れんばかりの恵みを与えてくれる一方で、つねに脅威を及ぼす。露地栽培の場合、もっとも厳しい脅威は台風による暴風である。作物をボロボロにしてしまう。この脅威に対して、できる限りの対策をとり被害を最小限に抑えられれば、精神的にも、もちろん金銭的にも必ず報われる。

第五に、農業は危険なことの多い職業なので、健康を害しないように、つねに細心の注意を払うこと。特に足腰を痛めやすく、農業に挫折するどころか、人生を棒に振ることさえある。元気でなければ、楽しくなれない。

最後は、「足る」を知ることである。上記のようなことを実践し続けると、普通の人にはいつの間にか過信と強欲が芽生えてくる。過信は、もし想定外のことが突発すると、致命的なダメージを及ぼす。そして、強欲は素直な喜びと楽しさを奪ってしまう。

しかし、現実は「言うは易く、行うは難し」である。

(文責:鴇田 三芳)