人間は、そら恐ろしい生き物である。先週の日曜の夜、NHKスペシャルの「ネクストワールド 寿命はどこまで延びる 老化を防ぐ物質発見!」を見て、そう思った。番組によると、ホルモンに似たNMNという化学物質が体内のサーチュリン遺伝子を活性化し、老化を遅らせるだけでなく、若返らせたり、病気を治せるという。そのNMNを既に日本の大手食品メーカーが生産し始めたそうである。
前話「老いとチャレンジ」で、「老いを感じると人は、老化を遅らせようと、健康や病気について学んだり、食事や生活習慣を改善したり、積極的に運動したり、何か新しいことにチャレンジしたりする」と書いた。しかし、番組の内容を素直に信じれば、金持ちは超高額のNMNを取り込むだけで、こんな努力をする必要がなくなりそうなのである。
このNMNとクローン技術、さらにiPS細胞による臓器再生の「新・三種の神技(器)」を駆使すれば、人間は永遠に生きられる可能性がある。つまり人間は、神の最後の創造物ではなく、まさに人間自らが神になってしまう技術を手にしかけているのである。
この番組を見終えて、そら恐ろしさに加え、2つのことを思った。その一つは、「人はどう死ぬようになるのか」である。人の死には5つのパターンがある。老死、病死、事故死、他殺、そして自殺である。これらのうち、仮に前の2つの死がなくなり、人口爆発を抑えようとすれば、後の3つの死に方を増やさなくてはならなくなる。なぜなら、食料や資源などに限りがあるからである。まさか、仙人のように霞を喰って生きていくわけにはいかないだろう。
もう一つ思ったことは、「今までのような農業はほとんど不要になるかもしれない」ということである。なぜなら、人口増加に食料生産が追いつかず、宇宙食をさらに進化させたような、工業的に生産された凝縮栄養物をほとんどの人類が摂取することになるかもしれないからである。つまりそれは、人類がその誕生以来ずっと続けてきた食事が激変することを意味する。
永遠に死なないために、もしそんな食事が当たり前になったら、「食べる楽しみ」や「食べられる喜び」は一体どうなるのだろうか。
我が家には、「救(きゅう)ちゃん」という1歳数カ月の雌猫がいる。一昨年の秋、目ヤニで目が開かず衰弱し道の真ん中にうずくまっているところを拾ってきた。獣医の努力の甲斐があって、一命は取りとめたものの、持病の食道拡張によって口から固形物を食べられない。そのため、高栄養の流動食を毎日欠かさず4回、胃に注射器で直接流し込んでいる。その流動食で、量も栄養も十分足りているはずなのだが、それでも人間の食べる物をさかんに欲しがり、人が食べた後の皿をとてもおいしそうに舐める。この猫にとっては、食べることが生きていることそのもののように見える。
本質的に、人間と猫の間に食欲の違いがあるのだろうか。不老不死のために、人間は「食べる楽しみ」や「食べられる喜び」を放棄できるのだろうか。もし食欲を放棄できるようなら、この世から喫煙者などいなくなるはずである。
もちろん、番組はこの画期的な技術の影の部分にはいっさい触れなかった。原爆の開発の時もそうだったが、科学者は往々にして視野が狭く、暴走する。恐ろしい。
(文責:鴇田 三芳)