第306話 知足者富

百姓雑話

私が就農を決意したきっかけは故・福岡正信氏に出会ったことである。氏は現代の老子と評されていた。アフリカのソマリア訪問をお伴させていただいた際、老子などまったく知らなかった私は、残念ながら、氏を深く理解できなかった。

その老子の言葉に「知足者富」という有名な句がある。欲望が尽きない凡人への厳しい戒めである。私も例外ではなく、胸に突き刺さる。

今から3年ほど前、仕事の関係で農場に尋ねてこられた千葉県職員のM.Oさんと知り合えた。30代前半とはいえ、とても思慮深い人である。その方から「断捨離」を教えられた。私は、それまで断捨離という言葉すら知らず、それとは程遠い生き方をしてきた。

かつてゴミ問題が深刻になった頃、「4R運動」というものがあった。使用を減らす(Reduce)、資源ごみとしてリサイクルする(Recycle)、何度も使う(Reuse)、そして提供を断る(Refuse)、というものだった気がする。この点は何十年も前から実践してきたつもりだが、断捨離までは思いが巡らないまま、私は還暦を過ぎてしまった。

皆生農園の農場には、柿の木が10本ちかく植えてあり、次々と熟し食べきれない。ほとんど小鳥やカラスの貴重な食料になっている。トロトロに熟すると、とろけるように甘い。食後のデザートにはうってつけである。

第303話で「甘い物は血糖値を急速に上げるので健康上好ましくない」と言っておきながら、大好きな柿は未だに止められない。子どものころ秋になると、おやつ代わりに柿を毎日食べていた原体験がそうさせるのだろう。まったく、「わかっちゃいるけど、やめられない」の典型である。

このごろ何かの折にふっと、「人間の欲望には限界があるのだろうか」と思うことがある。人には百八の煩悩があると仏教では教えているが、確かに人間の中ではいくつもの欲望が渦巻いている。冷静に自分の胸の内をのぞき込めば、けっして死ぬまで言動に移さず、そのまま火葬場まで持っていくしかないような欲望がいくつもある。

欲望は不幸を招く元凶である。しかし、その一方で生きる源泉でもあるため、まったく始末に負えない。

私も、今年65歳になり、「高齢者」と呼ばれる仲間に入ってしまった。体のあちこちにガタがきて、嫌いな病院に何度もお世話になった。このところ、高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違えによる交通事故が多発しているが、私もここ数年で4回もあった。幸い、事故にはならなかったものの、他人ことではない。「明日は我が身」である。

先週末、台風21号の直撃を受けた。事前に予測できていたので、研修生のT君と雨の中、ドロドロにぬかる土に足をとられながら3日間、必死に対策した。3日目にはもう、足に血豆ができ、足腰はガタガタになっていた。歳を実感させられた。

台風が去った翌日、見事な秋晴れが空一面を覆いつくした。そして、爽やかな秋風を浴びていたら、「もう断捨離を始めてくれ。欲望から解放してくれ。」という老体の訴えが聞こえてきたような気がした。

よし、来年から始めよう。

(文責:鴇田 三芳)