第166話 菌

百姓雑話

「菌」という字を見て、あなたは何を連想するだろうか。医療従事者、理学系の学者や学生、健康に強い関心を持っている人たちなどは、いくつもの「菌」をすらすらと述べられるだろうが、ほとんどの人は菌のことをあまり意識していないではないだろうか。そして、後者の多くは「菌」と聞いて、まず「バイ菌」を思い浮かべるだろうと、私は思っている。

余談になるが、そもそも「バイ菌」という菌はこの世に存在していない。人の健康にとって良くないと思われる菌の総称でしかなく、「雑菌」や「雑草」と同じ意味合いで私たちは何気なく使っている。そう呼ばれている菌にとっては失礼な話である。こういう呼び方は、アフリカ系の人を十把ひとからげ「黒人」と蔑称することに一脈通じているように思えてならない。

ところで昔は、農家の多くが真冬に一年分の味噌や醤油を仕込んだ。日本酒も同じである。その際に欠かせないのが麹菌や酵母菌などである。温度が高いと、これらの菌は他の雑菌に負けてしまうので、寒い時期に仕込む。私の実家も、隣近所と協力して、3日がかりで仕込んでいた。子どもも火の番などにかりだされ、一家総出の年中行事であった。

味噌や醤油の他にも、各種の酒や漬物、ヨーグルトやチーズ、納豆や鰹節など、発酵食品を挙げたらきりがない。このように、菌は私たちの食生活に欠かせない。そればかりか、「菌によって私たち人間は生かされている」と言っても過言ではない。成人の体は60兆個ほどの細胞からできているが、健康であれば、その60兆個の細胞よりも多い菌が人間の体に棲んでいるという。食物を十分に消化吸収できるのも、消化器管内に住んでいる菌群のお陰である。体表も常在菌によって守られている。

もちろん、野菜も例外ではない。野菜にとっては、特に土の中の菌群が生育に大きく影響する。有機物の乏しい「痩せた土」では、菌が少なくなり、野菜の生育が悪く病気にもかかりやすくなる。その一方で、有機物の豊かな「肥(こ)えた土」には、前者とは桁違いの数の菌が生きている。

それらの菌たちも、人間の消化器内に棲息する菌群と同じように、有用菌(いわゆる善玉菌)、有害菌(悪玉菌)、日和見菌に大別できる。そして、野菜が健康に育つためには、菌が根の周辺にたくさん棲息するだけでなく、有害菌の割合が小さいことが重要である。

ところが、ほとんどの農家は、病気対策のために殺菌剤を多用する。殺菌剤は、とうぜん、相手を選ばない。悪玉菌だけでなく、善玉菌や日和見菌も見境なく殺してしまう。そして悪いことに、悪玉菌の方が復活力が強い。したがって、殺菌剤を使い始めると、止められなくなってしまうのである。

ひるがえって、私たちの生活を見てみると、無意識に同じようなことをしていないだろうか。ちょっとした風邪くらいで抗生剤を飲む人がいるが、風邪の原因であるウィルスに抗生剤は効かない。それどころか、消化器内の大事な菌群を殺してしまう。抗生剤を飲むと下痢をしやすいのは、そのためである。また、必要以上に手や体を石鹸で洗ってはいないだろうか。そんな習慣は、肌荒れのもとになるだけである。肌を有害な菌から守っている常在菌や脂質まで洗い流してしまうからである。

過度の清潔癖は、健康管理に関する現代病の一つである。

(文責:鴇田 三芳)