第279話 愚かさを忘れない

百姓雑話

先月10日の夜、野菜の荷造りをしている時、カッターナイフで左小指の側面を切り落としてしまった。ちょうど新しい刃に替えたばかりで、切り落とした際に痛みはほとんどなかった。小指の根元をきつく握り高く掲げていたが、傷が大きく深かったので素人には止血できず、救急車のお世話になってしまった。初めての体験である。

皮膚移植が必要かもしれないということで、形成外科医が常勤する総合病院で一時的な処置をしていただいた。その際、傷の痛みを取り除くために、傷の周囲に麻酔を注射されたのだが、これが男泣きするほど痛かった。若い夜勤医師は良かれと思って麻酔をかけたのだろうが、「そんな一時しのぎの麻酔などいらんのに」と思った。

カーナビを頼りに妻が迎えに来てくれた。コンビニで買ってきてくれたサンドウィッチとおにぎりを頬張ると、「コンビニもなかなか頑張っているな」と驚くくらい、おいしかった。空腹を満たしていると、妻が横で「作業が早いだけが能じゃないですよ、まったく。命に別条がなかったからいいものの、不幸中の幸いと思いなさいよ」ときつく叱った。私は、無言のまま、おにぎりを食べきった。

翌朝、その病院の形成外科医に改めて診てもらった。「皮膚を移植しないと、治りが遅いだけでなく、ケロイドが残る可能性があり、指が曲げにくくなるかもしれません。5日後に入院して、移植手術しましょう」と言われ、帰宅した。

しかし結局、翌々日、手術をキャンセルした。その理由は3つあった。1つ目の理由は、入院が必要と言われたこと。正直なところ、「こんな忙しい時期に、入院することなんてできない。そもそも、この程度の手術でどうして入院など必要なのか」と思ったのだ。2つ目の理由は、手術に先立ち、念のために血液検査と胸部レントゲンを撮ると言われたこと。たまたま数日前に、別の総合病院で血液検査と胸部レントゲン撮影を受けていたので、「このデータではだめでしょうか」と医師に伝えたところ、「他の病院のデータがあっても、それはそれです。当病院として改めてとりたい」と言う。「命にかかわる手術ならまだしも、この程度の手術で改めて検査をする必要があるのですか」と問い直したが、受け入れてもらえなかった。現代の医療が内包する「検査づけ医療、薬づけ医療」を改めて思い知らされた。

そして、3つ目の理由がもっとも重要であった。それは、ケロイドが残り少し曲げにくくなった小指をときどき見つめ、自分の愚かさを忘れないほうが良いと思ったことである。皮膚がきれいに治り、元通りに動くようになれば、自分は怪我からきっと何も学ばないだろう。妻が、迎えに来てくれた時に言った、「作業が早いだけが能じゃない・・・・・」との忠告が胸にずしりと響いていた。

どうにか傷が癒えた4月上旬、新聞の2面見開きでのった意見広告が目にとまった。宝島社のものである。そこには、「忘却は罪である」というキャッチ・コピーがあった。そして、左面には、帝国日本が真珠湾を奇襲した写真が、右面にはアメリカ合衆国が広島に原爆を投下し直後のきのこ雲の写真があった。

(文責:鴇田 三芳)