前話で述べた農産物の貿易自由化と対極にあるのが「地産地消」であろう。これを一言で表現すれば、「身近なところで生産されたものを食べよう」とでもなろうか。地元の千葉県では、「千産千消」と言い換え、千葉県産の農産物をアピールしている。
ところで、長年にわたり直売してきた私は、「地元でとれたものだから、安心、安全なのよねー」という声を何度も聞いてきた。地産地消をきわめて肯定的にとらえた意見である。しかし、このような考えに明確な根拠が一体どれほどあるのか、私は懐疑的である。また、生協などが「産直」とか「産地指定」という用語を使うことがよくあるが、「地産地消」と同様に、何とも曖昧な表現で、「だから、どうなんだ」という核心部分がぼかされ、「これは良いものだ」というイメージが踊っているように感じている。
すでに日本では、冷蔵や冷凍技術が隅々まで普及しているので、離れた産地からでも新鮮な農産物が届くようになった。だから、「地元産イコール新鮮」という考えは、もはや幻想である。
また、「地元でとれたものだから、あるいは国産だから安心、安全」ということも、実に怪しい。一例を挙げよう。一般に市販されている国産のブドウとカリフォルニア産のブドウとでは、安全性が高いのはどちらか。たぶん、後者であろう。ブドウは、そもそもカリフォルニアのようなカラッとした気候向きの植物で、ジメジメした気候では病気や害虫が発生しやすい。当然、農薬の使用量は増える。かつて私のところで働いていたアメリカ人青年も同じことを言っていた。カリフォルニアには有機栽培の果物や野菜がごく普通に売られているそうだ。
では、地産地消のメリットは何か。日常的には3つある。まず、輸送コストが抑えられる点。2つ目は、経済の循環が小さいこと。そして、物質の循環が小さくなる可能性があることだろう。
さらに、あえて4つ目のメリットを挙げるとすれば、地球規模の気象異常が突発しても、どうにか喰いつなげるかもしれないことである。
これらのメリットは、グローバル化し続ける世界経済の流れに逆行する。しかし、物質文明の行き詰まりによって世界経済が破綻する可能性に対して、一つのアンチテーゼになるかもしれない。
だからと言って、やみくもに地産地消を称賛するのは考えものである。極端な地産地消はグローバル化とは別のリスクを抱えることになるからである。例えば、前話でも述べたように、食料危機に見舞われた集団から侵略されやすくなる。生まれた時から物質的な豊かさに囲まれて育った世代にはピンとこないかもしれないが、かつて日本人自身が食料を求めて侵略行為を起こした事実が何よりの証左である。もう一つのリスクは、何かの事情で地産地消が破綻した時、他国や他地域にすがっても、救いの手を差し伸べてもらえないかもしれない。
結局、行き過ぎた自由貿易もかたくなな地産地消も、どちらもリスクが大きくなる。双方をどのようにバランスさせるかが重要なのであろう。
(文責:鴇田 三芳)