第189話 販売戦略

百姓雑話

5月の連休明けから2ヵ月半ほど、20代後半の青年が短期研修に来ていた。彼は、研修最後の日、今後の計画を改めて語った。自分の畑で採れた野菜だけでなく、生活必需品などを、手づくりのトレーラー・ハウスに積んで、売りに回ると言う。なかば夢見ごこちで語る彼の目はキラキラ輝いていた。あの頃の自分は、会社員としてバリバリ働いていたものの、彼のように目を輝かせながら働いていただろうか。若い頃の自分を思い出し、やり直すことのできない過去に悔いを感じながら、彼の話しに耳を傾けていた。

彼の話をひとしきり聞き終わり、「誰に売るのか」と質問した。彼は即答できなかった。まだまだ、詳細を詰め切れていないのだろう。

ビジネスとして何かを売ろうとする際、「どのような人たちに買ってもらうか」という問いは、ほとんどの場合もっとも重要で、販売戦略の根幹をなす。この問いを深く掘り下げると、「社会は今何を求めているのか。今後何が必要とされるのだろうか。何が時代をリードするのだろうか」という命題に行き着く。ここまで掘り下げて考えないと、いわゆるイノベーションは起こせない。

農業分野においても、この問いは欠かせない。

かれこれ十数年ほど前、地元の種苗店が主催するトマト研修会に参加した。三軒の農家を訪れ、栽培現場を拝見し、いろいろな工夫をお聞きした。トマト栽培の経験が浅かった私にとっては、とても学ぶ点が多かった。中でも、一軒の農家は突出した技術力と明確な営農哲学を持っておられ、驚嘆した。もし本格的にトマト栽培に取り組むなら、彼のような方法が理想であると今でも思っている。

その方から学んだことのすべてを書き出したら紙面が足りないので、ここでは2つの紹介に留めたい。まず彼の営農哲学である。それを一言で表現すれば、「より良いものを手ごろな値段で普通の人々に食べてもらいたい」ということに尽きる。

具体例として、彼はこんなことも話された。「世間には、トマトが吸収する水を極端に制限し、とても甘く水に沈むトマトを栽培し、自慢している人がいる。かなり小さいトマトが、並み外れて高い値段がつけられ有名デパートなどで売られている。私は、あのようなトマトを作ろうと思えば作れるが、そんなトマトは作らない。甘さはほどほどでいいと思っています。水を適度に与え収穫量を確保し、手間を省き生産コストを抑え、できるだけ安い値段で販売したい。裕福でもない普通の人たちが買えるトマトを私は作りたい。それで家族が生活できれば、それでいいですよ。・・・・・・・・・・」

そのような哲学を持って生産されたトマトをその場で頂いた。甘さは十分であった。ほど良い酸味もあり、私好みであった。後日、近所のスーパーの地場野菜コーナーでその方のトマトが売られていた。その安さに驚いた。

それでも彼は、私のようにがむしゃらに働いてはいない。余裕を持って働いている。何故それが可能かと言えば、連続不耕起栽培という非常に難しい栽培方法を確立し、栽培の手間を激減させたからである。

別れ際に、「私がのんびり働いていても生活できるので、息子も一緒にやりたいと言ってくれました」と、彼はごく自然におっしゃった。

(文責:鴇田 三芳)