「日本は資源が豊かですか」と日本人に問えば、大多数の人々が、石油やガス、石炭や金属などの鉱物資源をイメージし、「乏しい。日本は資源小国です」と答えるに違いない。
確かに、私たちの生活や産業活動を根本から支えているエネルギーは石油やガスから作られ、そのほとんどは輸入に頼っている。石油にいたっては、エネルギー源として利用されるだけでなく、プラスティックをはじめとする多種多様な工業製品に加工されている。
かつて、日本がアメリカに戦いを挑んだ直接的な理由は石油の窮乏であったという。その当時、エネルギー源としては、主に石炭が活用されていたので、現代ほど石油への依存度が高くなかったものの、エンジンを動かす燃料としては不可欠であった。そのため、無数の命と引き換えに石油の調達に走ったのである。
それから70数年たち、いまや地球上のほぼ全ての人々の生活は、石油なしには立ち行かない。各種の統計データを調べるまでもなく、身の回りを見回せば、一目瞭然である。
その石油やガスの多くが中東地域から日本に運ばれてくる。いわば生命線とも言えるシーレーンを守るため、「ホルムズ海峡が機雷封鎖されれば、自衛隊が掃海作業に出向く」と息巻いている人たちがいる。想定問答としては成り立つものの、世界情勢を冷静に見渡せば、ホルムズ海峡を機雷封鎖するような国が一体どこにあるのだろうか。覇権国アメリカが睨(にら)みを利かせている状況で、亡国のリスクを負ってまで、無意味な暴挙に出る国家など想像もつかない。万が一どこかの国の独裁者が機雷封鎖したところで、ロシアからも、アメリカからも、アフリカや南米からでも、いくらでも買える。ロシアは、石油やガスの輸出に大きく依存しおり、二つ返事で売却を約束するだろう。情報と物流が世界に隅々まで行き渡り、経済がグローバル化した時代に、ホルムズ海峡を機雷封鎖することなど極めて非現実的である。
さて、冒頭の「日本は資源小国である」という認識であるが、私は何か偏狭な認識のように思えてならない。文明の栄枯盛衰を見れば、資源の枯渇で滅びた文明がいくつもあることに気づく。仮に日本が資源小国であれば、2000年以上も長きにわたり独立国家として存続するはずがない。今やこんな狭い国土に1億を超える人がこれだけ豊かな生活を送っている。資源小国であろうはずがない。
本来、資源を「綿々と人々が生き、社会や文明が健全に機能させるためのもの」と考えれば、鉱物資源にだけに限定することはない。少なくても、鉱物資源の他に、3つの資源が考えられる。気候を含めた自然環境という資源、文化や社会制度、教育程度や民族性などという人々に関する資源、そして水や食料の資源である。これらを俯瞰する時、日本が資源小国などと言えるだろうか。
私は四半世紀ほど前から、鉱物資源の安定的な調達を心配する前に、食料資源の安定調達を憂うるべきであると思っている。もはや軍事力を行使してまで、鉱物資源を調達する必要性は極めて低い。なぜなら今後、世界経済が本質的なデフレに向かうのはほぼ間違いなく、石油や鉄をはじめとする鉱物資源に関しては買い手市場が続くと予想されるからである。
(文責:鴇田 三芳)