私は、自動車関連の会社で、おもに経理(製造原価計算、費用集計等)の仕事を長く担当してきました。30年以上の勤務のうち、半分以上は出向先での仕事でした。4年前に本社に戻りましたが、経理業務が大きく変わっていました。それは、いままで慣れ親しんできた経理業務が国際ル-ルを基準とした処理に変わり、決算業務が大幅に短縮されことでした。毎月、20日間くらいかけて締めていた業務も、月初4~5日で締めるようになっていました。最初は、これについてゆくのが大変でした。日本基準の会計処理も良い点はありますが、時代の流れとしては、国際基準を無視することはできない状況です。経理にもグローバル化の波が確実に押し寄せ、その変化に早く対応しなければならない状況に直面しています。
私が、農作業を始めたキッカケは20年前の出来事です。養護施設の子供たちと何かをやろうと仲間と話し合い、荒地になっていた畑を開墾し、ジャガイモ、サツマイモを植え、収穫を楽しんでいたのが始まりでした。ボランティア活動に興味があったというわけではありませんでしたが、子供たちと何か一緒に活動をして、楽しめればとの思いから参加しました。あの体験も一つの転機だったような気がします。
人間は、この世に誕生してから、大自然の恵みに感謝し、時には恐れおののき、生かされてきました。仲間と協力し、あるいは争い、時には大切な命とひきかえに数えきれないほど多くの知恵を蓄え、文明を築いてきました。中でも農耕は、今にいたる中心的な文明です。いわば農業は、一番古い産業であるとともに、未来にわたっても必要不可欠な営みだと思います。
我々日本人も、先人の努力のおかげで、豊かな生活を送れるようになりました。お金を出せば、たいていのものを手に入れることができます。食料も、自国で不足している分は、他国からいつでも輸入することができます。
しかし、この状況がいつまで続くか、あるいは、いつ変わるか誰にもわからないと思います。国際紛争に巻き込まれたり気候変動によって食料生産量が大きく落ち込むだけでなく、膨大な投機資金が先物市場に流入して、食料価格が暴騰する可能性が十分あります。現に、世の中の動きを見ていますと、その予兆はすでに見え隠れしているのではないでしょうか。例えば、今世紀に入ってからトウモロコシが高騰し始め、リーマン・ショックでいったん落ち込んだものの、すぐにまた高騰しました。このように、予想しがたい転機や激変によって近年、石油や食料などの価格が乱高下し庶民の生活を圧迫するようになりました。さらに長い歴史に目を向ければ、必要な量の食料を作らなくなった国や文明は歴史の表舞台から消え去ってきました。
いま私は、定年を数年後に控え、また新たな転機を迎えています。そろそろ次のステージをどうするのか考えなくてはいけない時期に差しかかり、上記のような認識を胸に、体力と気力が続けば、本格的に農業に携わっていきたいと思っています。
(文責:阿部 一雄)